80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.201

 

路地裏の少年(12インチ)  浜田省吾

作詞 浜田省吾

作曲 浜田省吾

編曲 古村敏比古

発売 19867

 

 

 

シングルヒットと縁のなかった80年代のハマショーが最もトップ10に近づいた、デビュー曲のロングバージョン版

 

 1976年4月『路地裏の少年』でデビューした浜田省吾ですが、実際にセールスに結びついていくのは80年代に入ってから。それも典型的なアルバム・アーティストで、当時のLPチャートでは、1982年11月にリリースした8thアルバム『PROMISED LAND 〜約束の地』で4位に入ると、注目度が増し、19869月に発売された10thアルバム『J.BOY』でとうとう1位を獲得するまでに至るのです。ところがシングルレコードは、アルバムの好調ぶりと比較すると明らかに低迷し、80年代の間は一度もシングルチャートのトップ10にも入らないという、今から思うととても意外な状況ではありました。

 

 そんな中で、最もチャートの順位が高かったのが、この『路地裏の少年(12インチ)』であり、最高11位と、あと一歩でトップ10という位置にまでは上がっていったのです。もっともこのシングル、『J.BOY』に先立っての先行シングル的な役割を持つシングルで、実際に『J.BOY』にもバージョン違いで収録されていました。そもそもがデビュー曲で出したシングルに、当時は収録されていなかった3番の歌詞を加えたものだといいますから、思い入れも強かったのでしょう。このシングル自体の売上に大きな結果を期待するというよりは、アルバムのための宣伝といった目的の方が強かったのだろうと考えられます。

 

 浜田省吾というと、特に男に人気のイメージもあるのですが、当時から女性の人気もなかなかのものだったのですよね。あ、思い出しました。ある夏の夜、いつものメンバー野郎6人で、いつものコース=カラオケ(当時はまだボックスはなかったので、カラオケ付きの飲み屋さんです)のあとディスコ(当時はディスコです!)=で遊んだときのこと。たまたま同じ人数6人組の女子グループと飲み屋で一緒になって、ディスコにまで行ったその帰りの電車の中で、彼女たちの12人が「浜田省吾が好き」と言ってたのです。ただ当時、私はあまり浜田省吾を聴いていなくて、知っていたのはこの『路地裏の少年』ぐらい。話もそれで終わってしまい、もっと浜田省吾も聴かなければと、心の中で思ったのを、不思議と覚えているのです。

 

 さて『路地裏の少年』ですが、なんといっても詩が素晴らしく、情景も心情もストレートに伝わってくるものになっています。おそらく自身の若き日々の体験と重ねて作られているのだろうことは、詩を読んだだけでも想像できるわけで、まさに青春、これぞ青春、ミュージシャンを目指す若者の青春とはこれだっ!というような、そんな歌詞なのですよね。《真夜中の校舎》《朝焼けのホーム》《書き置き机の上》《ポケットに少しの小銭》《アルバイト電車で横浜まで》《古ぼけたフォーク・ギター》《赤茶けた工場の高い壁》…歌詞に使われているひとつひとつの場所、物がまるで映画を観ているように、映像として浮かんできます。『路地裏の少年』は特に何か夢や目標をもって、田舎から都会へ出てきた若者にとっては、ぐっと胸にくるような、共感しやすい歌だったのではないでしょうか。

 

 やがて90年代になると、ようやくシングルでもトップ10に入るようになってきます。その最大のきっかけが198111月発売の『悲しみは雪のように』がリメイクされて、テレビドラマの主題歌として起用されたことにあるのですが、『悲しみは雪のように』にしろ『路地裏の少年』にしろ、最初にリリースされたときよりも、再リリースの時の方が売れているのですよね。それを考えると、本来ならもっと売れてもおかしくない作品が、売れなかった頃のシングルやアルバムに埋もれている可能性もあるわけで、つくづく音楽作品というものは、いい曲が売れて、そうでない曲が売れないという単純なものではないということを思い知らされるわけです。