80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.189
ガラス越しに消えた夏 鈴木雅之
作詞 松本一起
作曲 大沢誉志幸
編曲 Hoppy神山
発売 1986年2月
ラッツ&スター解散後、ボーカリストとしての成功を占うソロデビュー曲は大沢誉志幸臭漂う聴かせるバラード
シャネルズ、ラッツ&スターのリーダー兼メインボーカルとして、数々のヒット曲を送り出してきた鈴木雅之も、グループを解散してソロシンガーとしてデビューするにあたっては、それなりに不安はあったのではないでしょうか。鈴木雅之は、基本的に自分で作詞作曲することは少なく、作家の作った曲を歌うことがほとんどで、自らのボーカル一本で勝負することになります。シャネルズ時代は、顔を黒塗りしたりと話題づくりにも力を入れていたようなところもあり、果たしてシンガー、ボーカリストとしてどこまでやれるかという部分は、多かれ少なかれあったことでしょう。ですから、ソロとなって最初の曲は、ある意味ソロシンガーとしての試金石といっても過言ではなかったものと思います。その一発目に選んだのが『ガラス越しに消えた夏』でした。
この『ガラス越しに消えた夏』はなんといっても日清カップヌードルのCMに起用されたことが大きかったのではないでしょうか。砂漠のようなところを走る数台のバイクに合わせゆったりと流れる鈴木雅之のボーカルが、実に雰囲気があっていいのですよね。グループ時代にもバラードの曲は『涙のスウィート・チェリー』とか『Tシャツに口紅』とか、名曲はあったのですが、セールス的にはあまり恵まれなかった鈴木雅之。グループに期待されていたのが、おそらくそっち方面ではなかったのでしょう。ノリの良いアップテンポの曲の方が売れていたのですが、ソロとなって最初に選んだのがバラード曲というのは、これからはそっちの方面で勝負していくぞという、心の表れだったのかもしれません。
作曲したのは大沢誉志幸。考えてみれば『そして僕は途方に暮れる』もカップヌードルのCMからのヒットでしたね。この当時、カップヌードルのCMからのヒット曲というものがわりとあって、HOUND DOG『ff(フォルテシモ)』、中村あゆみ『翼の折れたエンジェル』なんかもそこからのヒットでした。そんなことで、カップヌードルのCMに起用されたということは期待の表れでもあったのでしょう。そして一回カップヌードルで成功を収めている大沢誉志幸ですから、ヒットへの道筋はできていたのかもしれません。実際に曲自体も、実に大沢誉志幸らしいメロディラインであったと思います。
一方、作詞は松本一起。他のヒット曲としては中森明菜『ジプシー・クイーン』『Fin』、池田聡『モノクローム・ヴィーナス』、class『夏の日の1993』、矢沢永吉『夢の彼方』、田原俊彦『It‘s BAD』、早見優『抱いてマイ・ラブ』、水谷麻里『ポキチ・ペキチ・パキチ』、ribbon『サイレント・サマー』など多数あり、当時の売れっ子作詞家の一人です。そんな松本一起による『ガラス越しに消えた夏』は実に叙情的で雰囲気のある歌詞に仕上がっていて、鈴木雅之のボーカル、大沢誉志幸のメロディ、CMの映像のいずれをも引き立ててくれています。失った恋を振り返って歌っている内容で、ほぼ歌い手の心情を綴った詩なのですが、唯一情景を描く《やがて夜が明ける 今は冷めた色 次のカーブ切れば あの日消えた夏》のフレーズが冒頭のみで歌われているのにも関わらず、歌の最後まで効いているのですよね。
この鈴木雅之の勝負曲はオリコン最高15位、売上14.7万枚と健闘、それによってソロシンガーとしてもまずは順調なスタートを切ることができたわけです。もっとも2枚目のソロシングル以降、80年代の間は、それ以上の目立った実績をあげることなく、実際にシングルチャートのトップ10に続けて作品を送り込むようになったのは90年代に入ってから。ただ『もう涙はいらない』(1992年5月)、『恋人』(1993年4月)、『違う、そうじゃない/渋谷で5時』(1994年1月)のヒットの礎になったのは、やはりボーカリスト鈴木雅之を大々的に打ち出した『ガラス越しに消えた夏』だったといっていいのではないでしょうか。