80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.154
別れの予感 テレサ・テン
作詞 荒木とよひさ
作曲 三木たかし
編曲 林有三、服部克久
発売 1987年6月
これ以上ないほど愛していながら抱える別れの予感、復活後のテレサ・テン全盛期の最終期を飾るラブソングの名曲
アジアをまたにかけて活躍したテレサ・テンですが、日本では1974年3月に『今夜かしら明日かしら』でデビューし、2枚目の『空港』(1974年7月)がオリコン最高29位ながら売上14.1万枚と、まさに演歌・歌謡曲的なロングタームの動きでスマッシュ・ヒットとなりました。ところがパスポートの問題で国外退去処分ととなり、数年間日本での活動ができなくなります。しかしながら、ようやく再来日が叶ったあと1984年1月に発売した『つぐない』がオリコン最高6位、売上44.2万枚の大ヒットとなったのです。ここから日本におけるテレサ・テンの全盛期に入り、続く『愛人』(1985年2月)はオリコン10位、売上29.9万枚、さらに『時の流れに身をまかせ』(1986年2月)がオリコン最高6位、売上33.4万枚と3作続けての大ヒットを生み出しました。その後1曲挟んだ次にリリースしたのが、今回取り上げた『別れの予感』でして、結果としてオリコン最高16位、売上14.5万枚と、まずまずのヒットとなりました。ただこの曲を最後に、テレサ・テンのシングルはオリコントップ20、売上10万枚のラインからは遠ざかっていくことになり、まさに最後のヒット曲であったわけです。
日本でのテレサ・テンの歌う楽曲は、演歌寄りの歌謡曲といった感じだったでしょうか。仲間としては、やはり石川さゆり、小林幸子といった演歌勢と一緒のくくりではありましたが、歌う曲は演歌といった感じとはちょっと違う、日本の作家の曲でもどこかアジア歌謡の匂いを感じさせる楽曲ではありました。ただテレサ・テンの全盛期でヒットしている当時、私はまだ10代。やはりテレサ・テンも石川さゆりも小林幸子も、たいして変わりはなかったのです。『別れの予感』も『つぐない』も『愛人』も『時の流れに身をまかせ』も、どうせ演歌の曲だと思って、気に留めることもありませんでした。
ところが、大人になって改めて聴くと、その良さが不思議とわかってくるのです。それは他の演歌の曲にはあまりないことで、特にこの『別れの予感』は、こんな良い曲だったのかと、当時どうしてそれに気づかなかったのかと、自分の変化に驚いたぐらいです。作曲の三木たかしはもちろん昭和の大御所作曲家ですが、石川さゆり、五木ひろし、森進一といった演歌勢から、西城秀樹、キャンディーズ、柏原よしえといったアイドルポップスまで、幅広いジャンルをこなしていた作曲家だっただけに、この『別れの予感』は演歌でもないポップスでもない、どこか80年代の「ニューミュージック」的なエッセンスの感じられる一曲になったのかもしれません。実に切なくてそれでいてどこか爽やかな余韻を残してくれるメロディーがとにかく「良い」のです。
さらには荒木とよひさの詩がこれまた素晴らしい!とにかく好きで好きで仕方ない、これ以上愛せないほど愛しているあなたへの思いにあふれたラブソングになっていて、今からするとだいぶ古風な女性なのですが、テレサ・テンが歌うと一言一言が心に染みてくるのです。《泣き出してしまいそう 痛いほど好きだから どこへも行かないで 息を止めてそばにいて》《もう少し奇麗なら 心配はしないけど わたしのことだけを 見つめていて欲しいから》《悲しさと引き換えに このいのち出来るなら わたしの人生に あなたしかいらない》《あなたの言うがままに ついてくこと それだけだから》…、こんなことをもしも女性から言われたら…。この曲が発売されて30年以上経過し、今では絶滅しているでしょうね、きっと。ただこの歌、タイトルが『別れの予感』なのですよね。これだけ愛してながらも、どこかで別れの予感を覚えているというところが、またせつないのですよね。
さてテレサ・テンですが、ご存知のように1995年に42歳の若さで亡くなってしまいます。今でも時折、テレサ・テンの人生を特集したテレビ・ドキュメンタリーが作られるなど、亡くなってもなお存在感を示し続けています。またそれは日本人だけではなく、おそらくアジア人に共通して、テレサ・テンの歌に惹きつけられる何かがあるのでしょう。香港の超名作映画『ラヴソング』では多くのテレサ・テンの歌を背景に使うだけでなく、その死をも場面で描いていたりしています。やはりアジア人の心から切り離せない存在がテレサ・テンなのでしょう。