80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.149
哀しい予感 岡田有希子
作詞 竹内まりや
作曲 竹内まりや
編曲 松任谷正隆
発売 1985年7月
翌年の衝撃的な最期を予言するようなタイトルの6枚目のシングルは、まりや節炸裂のちょっぴ大人の傷心ソング
1984年4月『ファースト・デイト』で歌手デビューした岡田有希子はデビューから順調に人気を上げていき、竹内まりや3部作の3枚目シングル『恋はじめまして』(1984年9月)ではオリコン最高7位とと初のトップ10入りを果たします。続く4枚目『二人だけのセレモニー』(1985年1月)、5枚目『Summer Beach』(1985年4月)は作曲者を尾崎亜美に変えて、それぞれオリコン4位、5位とトップ10に定着。アイドルとしての人気を不動のものとし、さらにトップをうかがおうかというところまで昇ってきたところでの第6弾シングルが、今回とりあげる『哀しい予感』です。この『哀しい予感』は再び作曲を竹内まりやに戻し、さらに初期3部作のアイドルバリバリの可愛らしい曲調から、少し大人っぽい傷心ソングへと、大人の歌手へと成長していくための転換点になるような一曲でもありました。
尾崎亜美と竹内まりや、ともに自らシンガー・ソング・ライターでありながら、他の歌手への曲提供も積極的に行っていて、特に80年代のアイドル歌手もお世話になっている人が多くいます。岡田有希子その両方に曲を提供してもらいヒットに結び付けているという、なんとも贅沢な立場だったのですが、全シングル8曲中6曲が竹内まりやか尾崎亜美の曲なので、余計にその印象が強くなっているのかもしれません。他のアイドルで両者にシングル曲を提供してもらった歌手というと、河合奈保子-竹内まりや『けんかをやめて』『Invitation』、尾崎亜美『微風のメロディー』、堀ちえみ-竹内まりや『待ちぼうけ』、尾崎亜美『素敵な休日』がいますが、二人は多くのシングルの中の一部なので、印象としてはやはり岡田有希子ほどではありません。
さて『哀しい予感』の歌詞ですが、付き合って2年目になった恋人の心変わりを感じだした私の不安な気持ち、そして恋の終わりの予感を歌った、まさにタイトルどおりの哀しい恋愛ソングになっています。同じ竹内まりやでも、恋の始まりを歌った初期の3部作とは離れて、一歩大人の女性になるための試練を与えるかのような作品になっていて、まさに岡田有希子を次のステップに引き上げようかという狙いを感じさせる選択に思えます。ただこの歌詞の中では、冷たくなった電話の声や、うわさ話によって、恋人に聞きもしないうちに、自分の中で勝手に悪い妄想をどんどん膨らませていっているような節が感じられ、このあたりに恋に対する未熟さも現れています。《お願いようわさなんか 嘘だと言ってね 私だけ愛してると 誓った言葉を信じたいから》《明日からこの道を あの子と歩くのでしょう 風に散った 私の初恋》と胸の内で叫んではいるものの、《お願いよ せめて家にたどり着くまでは つながれた指と指を はなさないでいて 泣きそうだから》と、実際には二人は手をつないで家路についているわけで、彼の方から明確に別れようといわれているわけでもなさそうなのですよね。それだからこそ『哀しい予感』というわけなのでしょう。そして、そんな歌詞を乗せたメロディーはまさに竹内まりや節といった感じで、曲調的には初期3部作よりも、明確に竹内まりやらしい曲調になっているのではないでしょうか。
セールス的にはこの曲、それほど芳しくはなくて、最高順位は7位ですが、売上8.9万枚というのは、岡田有希子全シングル8曲のうち、最も売上枚数が低い結果に終わっています。けっして出来の悪い曲ではないのですが、岡田有希子にファンが期待していたのは、こういった暗い曲調ではなく、清らかで可愛らしいものだったのかもしれません。次の7枚目『Love Fair』(1985年10月)は竹内と尾崎を離れた初めてのシングルとなり最高は5位、そして8枚目『くちびるNetwork』(1986年1月)は化粧品のキャンペーンソングに起用され、初のオリコン1位を獲得、まさに輝かしいスターとしての未来への視野が大きく開けてきたのでした。
岡田有希子と私は実は同い年。大学に入学のために上京し、キャンパスでのオリエンテーションを終え、独り暮らしを始めたばかりのアパートに戻り、取り始めたばかりの新聞の夕刊を見たときに、あまりにもの衝撃に愕然としたのを今でも覚えています。