80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.140
哀愁ピュセル 伊藤美紀
作詞 栃内淳
作曲 井上ヨシマサ
編曲 船山基紀
発売 1987年7月
期待を背負ったホリプロスカウトキャラバン・グランプリ受賞アイドルの自身最高セールスとなったセカンドシングル
伊藤美紀は1987年5月に『小娘ハートブレイク』で歌手デビューしました。なんといってもホリプロスカウトキャラバンでグランプリを獲得したということで、事務所の期待を一身に背負ってのデビューだったわけです。それまでのグランプリ受賞者としては、榊原郁恵、能瀬恵子、比企理恵、堀ちえみ、大沢逸美、井森美幸、山瀬まみらがいて、それ以後ですと戸田菜穂、上原さくら、佐藤仁美、深田恭子、空山あや、石原さとみ、石橋杏奈、足立梨花、小島瑠璃子と、なかなかバラエティに富んだメンバーが芸能界で活躍してきました。当然伊藤美紀についても、期待されてデビューしたわけで、まだまだ当時は、アイドルデビューしたらまずは各テレビ局などの新人賞を目指すというのが、定番のコースであったのです。
同期のライバルとしては、酒井法子、立花理佐が強力で、中村由真、仁藤優子、畠田理恵、BaBe、真弓倫子、守谷香、森高千里、石田ひかり、小沢なつき、小川範子なども1987年のデビュー。ソロとしての工藤静香も1987デビューです。そんな中で一歩抜きんでるということは、なかなか大変なことだったでしょう。伊藤美紀も確かに可愛らしいルックスの16歳の女の子ではありましたが、そこから抜けていくためには、何かひとつ武器が欲しいというのは当然あったでしょう。もっとも賞レースという点では、伊藤美紀は同じ事務所の他の同期への忖度なのかどうか、あまり積極的ではなかったかもしれません。
デビュー曲『小娘ハートブレイク』は事務所やレコード会社の売り出しの効果もあってか、オリコン最高18位、売上3.4万枚とまずまずのスタートなったところで、同じ作詞・作曲のコンビによりリリースしたのが『哀愁ピュセル』でした。デビュー曲はマイナー調ではありましたが、ディスコミュージックを意識したようなテンポある曲でしたが、この『哀愁ピュセル』も基本的にはその路線を踏襲したものになっています。作詞の栃内淳、作曲の井上ヨシマサとも5枚目のシングルまでをコンビで手掛けることになりますが、特に井上ヨシマサは他のアーティストにも多くのヒット曲を提供している作曲家です。代表曲としては、光GENJI『Diamondハリケーン』、AKB48『RIVER』『真夏のSounds good!』『Everyday、カチューシャ』、中山美穂『Rosa』『Mellow』、浅香唯『TRUE LOVE』、荻野目洋子『スターダスト・ドリーム』、小泉今日子『Smile Again』、田原俊彦『KID』、島田奈美『タンポポの草原』、西村知美『Blueberry Jam』、水谷麻里『バカンスの嵐』など、男女問わずアイドルに多くの曲を提供してきています。
ジャンプアップを狙ったこのセカンドシングルは、結果としてオリコン最高13位、売上4.5万枚と、前作を上回る結果を残したのです。このあたりは、事務所の力、ホリプロスカウトキャラバン・グランプリというブランド力の力も大きかったのではないでしょうか。楽曲としてはさほど目立つ出来ではありませんでしたし、良くも悪くも無難なものだという印象。そして辛いのは伊藤美紀の歌唱力で、お世辞にも上手というレベルにはなく、そこで何か武器をというのも、なかなか厳しいところ。
その後3枚目のシングル『UBU』(1987年10月)まではトップ20入り(オリコン16位)を果たすものの、デビュー2年目となった4枚目以降は早くも下降線に。栃内淳&井上ヨシマサの手を離れたあとは、曲も迷走していき、『やる気マンマン体操』(1988年8月)なんて、いやはや…。結局アイドル歌手として大成することはなく女優に転身し、1990年代はテレビドラマなどで活躍をしていました。