80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.132
Once Again UP-BEAT
作詞 広石武彦、柳川英巳
作曲 広石武彦、UP-BEAT
編曲 佐久間正英、UP-BEAT
発売 1989年3月
あと一息でブレイクしそうで仕切れないロックバンドが、今度こそはと挑んだカッコ良くもドラマティックな勝負曲
1980年代終盤におけるバンドブームでは、バラエティに富んだいろいろなタイプのバンドが登場しましたが、1986年にデビューしたUP-BEATは正統派のロックバンドという位置づけだったように思います。多くの楽曲を作り、ボーカルも務める広石武彦のワンマンバンドでもあり、彼の才能とキャラクターに頼らざるを得ないところが、長所でもあり短所でもありましたが、メロディメーカーとしての広石武彦のセンスはなかなか侮れないものがありました。ロックといってもメロディーはわりとキャッチーで、ポップス的な要素も含む曲が多く、なおかつかっこいいという、いつ売れてもおかしくないという印象でした。ですから、どこかBOФWYの系譜を次いでいくような、そんな匂いもありましたね。セールス的には1988年1月発売の『NO SIDE ACTION』が、初めてオリコントップ20に食い込み最高19位を記録、続く『Blind Age』(1988年5月)が20位、『DEAR VENUS』(1988年9月)が18位と、安定して20位内に入り込むようにはなってきていましたが、そこからもう一歩突き抜けられない状況ではありました。そんな中発売された渾身の一作が『Once Again』だったのです。
『Once Again』はこれまで以上にキャッチーなメロディーと、情感に訴える歌詞で、これで売れなければ、いったい何が売れるのだ!と私に思わせるほどにかっこいい曲でした。実際、今でも時々口ずさむほど、個人的には大好きなのです。でも、やっぱりこの曲でも突き抜けることはできなかったのです。同じように、オリコンは最高19位と、同じようなセールスに終わってしまったのです。ライバルとなるバンドが次から次へと出てくるような環境下では、UP-BEATのような正統派の音楽が注目され、大ヒットするというのは、なかなか難しい環境だったのかもしれません。耳馴染みはいいし、雰囲気もかっこいい、しかもボーカルのルックスもよいのでそこそこは売れるけれど、そこを越えるには何かが足りない。どこか無意識のうちに聴く側にもBOФWYの影がちらついていたのでしょうか。比べられてしまうと、どうしても氷室+布袋のふたりには広石一人の力では、パワー不足は否めず、そこを越えることができない、そんなところもあったかもしれません。或いはそれは運だったり、きっかけだったりするのかもしれません。ZIGGYあたりはテレビドラマの主題歌に起用されたことをきっかけに、一気に突き抜けることに成功しています。UP-BEATは、そういった大きな運を引き寄せるタイミングに恵まれなかったのも、また運命だったということでしょうか。
『Once Again』のようなカッコよくてしかもドラマティックな佳曲が、いまひとつ世間に広がらすに埋もれてしまったのは、私としてはかなり残念で、そんな思いもあって今回とりあげたというのもありますね。この手のロックバンドのラブソングは、ともすると思いのたけを「愛してる」「抱きしめたい」と繰り返し歌うだけで、ストーリー性が弱い曲が得てして多いものなのですが、この曲は違います。《まるで映画のように幕が降りて》といきなり冒頭であるように、映画のワンシーンのような、男女の別れが、映像として目の前に浮かんでくるような、情感あふれる詩がたまりません。《やけに落ちついてる君の瞳 凍りついたみたいにただ見つめる》《やり直すことできないのは 君の無理な笑顔で気付いてるけど》《夜が明けたら 別れのキスをメインストリートで交わそう》《涙声で叫ぶよりも 君は無理な笑顔で終わりをつげた》などなど、男の方は彼女に対してまだまだやり直せるものならやり直したい思いでいっぱいなのに対し、女の方はすでにどこか冷めていて、最後の場面をどうにか取り繕おうとしているだけという温度差が歌詞全体を支配していて、男側からすると、せつなくてせつなくて仕方ないという感じなのです。やっぱりこの曲、売れてほしかったなと、つくづく思わずにはいられません。
さてUP-BEATですが、次のシングル『TEARS OF RAINBOW』(1989年9月・最高24位)に続くシングル『Rainy Valentine』(1990年2月)も、おそらく売れ線を狙った、キャッチーで情感のこもった勝負曲(だったと思われる)だったのですが、これもオリコン19位で終わります。これもいい曲なのですけどね、結局このあたりがUP-BEATの限界だったということでしょう。バンドブーム自体が落ち着きを見せると、この後はジリ貧となり、1995年にバンドは解散となりました。あと一歩のところでメジャーバンドになりきれなかったUP-BEAT、本当に惜しい存在だったと思います。