80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.128
リサの妖精伝説-FAIRY TALE- 立花理佐
作詞 松本隆
作曲 筒美京平
編曲 小林武史
発売 1988年7月
中山美穂を目指したアイドルが、ゲームとのコラボと黄金トリオの作品で、さりげなく自己アピールを盛り込んだ勝負曲
立花理佐は1987年1月スタートのテレビドラマ『毎度おさわがせしますⅢ』のヒロイン役としてアイドルデビュー。このシリーズのⅠとⅡのヒロインは中山美穂が務め、それをきっかけにトップアイドルへと昇りつめていったこともあり、立花理佐も大きな期待を受けていたことでしょう。デビュー曲『疑問』(1987年4月)はいきなりオリコン2位を獲得し、上場のスタートを切ったのです。1987年は計4枚のシングルを発売して、いずれもオリコンの最高位が4位以内となり、レコード大賞の最優秀新人賞までも獲得しました。このとき最優秀賞を争ったライバルが、坂本冬美、酒井法子、BaBe、畠田理恵(のちにNHK朝の連ドラヒロインを務めたあとに将棋の羽生夫人に)とそうそうたるメンバーで、その彼女たちに打ち勝ったわけですから、まさに前途洋洋といった状態のデビュー年度でした。
そして勝負の年になった1988年、3月に発売した5枚目のシングル『刹那主義』(オリコン最高8位)に続き、6枚目としてリリースしたシングルが『リサの妖精伝説-FAIRY TALE-』でした。この2つのシングルは、作詞が松本隆、作曲が筒美京平と、まさに黄金コンビによる作品で、2年目のジャンプアップのために、事務所やレコード会社が力を入れてきたのでしょう。さらに『リサの妖精伝説-FAIRY TALE-』は、90年代以降に大物となっていく小林武史が編曲をしていて、まさに黄金トリオによる作品といってもいいでしょう。さらにさらに追記すると、この時期同名『リサの妖精伝説』というゲームが発売されていて、この曲はそのイメージソングでもあったのです。ゲームとのコラボ作品で、歌詞の内容もまたゲームと連動していたようで、とにかく力が入っていたということは、この状況だけで十分に伝わってきます。
シングルレコードとゲーム共通タイトルの「リサ」とはもちろん立花理佐の名前。立花理佐はゲームにも登場していたのです。そして歌詞にも当然のように名前が入れ込まれていて、《おいで理佐のフェアリー・テール》とサビで何回も繰り返されるのです。もっというと、呪文のように何度も何度も繰り返される《Sarina Bachita Sarina Bachita …》という言葉、実はわたくし気づくまでに結構時間がかかったのですが、“サリナバチタ”を逆から読むと“タチバナリサ”なのですよね。名前をさかさまにした言葉を呪文の言葉にしていたのです。このようにアイドル歌手が自分の歌う歌の中に自身の名前を入れ込むことは、例のないことではありません。有名なのは《伊代はまだ 16だから》の『センチメンタル・ジャーニー』ですが、倉沢淳美『プロフィール』も自分の名前を《アツミ アツミ》と連呼しています。ただこの2曲はともにデビュー曲で、デビューに当たり自己紹介をするという体裁がありました。しかし立花理佐は6枚目のシングルでして、自己紹介の時期は過ぎています。たまたま自身が登場するゲームとのコラボということで、こういうことになったのでしょうね。
こうして、勝負曲であった『リサの妖精伝説-FAIRY TALE-』だったのですが、勝負曲としてはむしろ色物ソング的な印象も否めませんで、結果としてオリコン最高位は前作と同じ8位どまり。アイドル歌手としての立花理佐は、どうも楽曲には恵まれていなかったように思います。デビュー時の中山美穂路線に準ずる反抗期ソング『疑問』『大人はわかってくれない』(1987年7月)、コミカル路線の『きみはどんとくらい』(1987年10月)、やや大人っぽくした『サヨナラを言わせないで』(1987年12月)と、いろいろ品は変えてみるものの、どうもこの歌はいい曲だねというところがないように思えます。そのあたりは、あまり曲との縁がなかったのでしょうね。
結果として『リサの妖精伝説-FAIRY TALE-』は最後のトップ10入りシングル曲となります。このあと事務所とレコード会社のトラブルがあったようで、7枚目シングルと8枚目シングルの間に1年ものブランクが生じるなどもあって、活動はしりすぼみになっていきました。つんくを介して再び音楽の世界に戻ってきたのは、さらにずっと後の話となります。