80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.125
哀愁(わかれ)のワインディングロード T.C.R.横浜銀蝿R.S.
作詞 翔
作曲 翔
編曲 T.C.R.横浜銀蝿R.S.
発売 1983年12月
銀蠅ラストシングルは、それまでのシンプルなツッパリ・ロック曲調とは正反対の、意表をつく哀愁感あふれる失恋ソング
1980年9月に『横須賀Baby』でデビューした4人組のロック・バンドTHE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL、略して横浜銀蠅は、1981年1月に発売した2枚目のシングル『ツッパリHigh School Rock'n Roll (登校編)』のヒットで一気にブレイク、リーゼントにサングラス、革ジャン、ドカンといったスタイルで当時の世相を反映し、特に中高生男子の人気を得て、人気バンドの地位を確立しました。以降6枚連続でオリコントップ10入りを果たし、さらには嶋大輔、杉本哲太、岩井小百合、紅麗威甦(グリース)、麗灑などの銀蠅ファミリーとして、勢力を拡大していったのです。
音楽的には、3つのコードを覚えたら全部の曲を弾けるとか、どの曲も同じなどと揶揄されたりもしましたが、校内暴力が社会問題となっているなかで、ツッパリといわれた不良や暴走族たちの生態を、ときにコミカルに、ときに温かい目線で歌にしてヒットさせた実績といったものは、戦略としてはみごとに成功したといっていいでしょう。さらに楽曲を提供した嶋大輔や紅麗威甦の曲もヒット。『男の勲章』などは今でもツッパリ文化の代名詞的な作品として歌い継がれていますし、実はあの西城秀樹にもシングル『セクシー・ガール』で楽曲提供をしているのですよね。あと三原順子『だって・フォーリンラブ・突然』もそうです。そういえばソロでもJohnnyが『ジェームス・ディーンのように』『$百萬BABY』が大ヒットと、実はヒット曲メーカーとしてのセンスには優れているものがあったのではないかと、私は思っています。
そんな横浜銀蝿でしたが、約3年という活動期間をもって解散することが決まり、最後にリリースしたシングルがこの『哀愁(わかれ)のワインディングロード』でした。世相を睨み、そのパロディのような歌でヒットを飛ばし、そろそろ需要がなくなってきたかというところで舞台から降りる、周りを見る目に優れていたということは確かにいえるのではないでしょうか。人気があるうちにパッと引いてしまうという引き際の綺麗さも、結果的には見事だったと思います。そのラストシングルですが、バリバリのロック・チューンではなく、完全に意表をつくような、それまでにほとんどなかったようマイナー調の失恋ソングだったのです。最後という意味では、確かに別れの曲は合っているのかもしれませんが、最後の最後でこれを出してくるかという思いもありました。言ってしまえば「らしく」ない曲だったのです。
いや、「らしくない」といっても曲そのものはなかなかの良い曲。少なくても私は、初めて聴いたときに「これ、いいじゃん」と思いましたし、彼らのすべてのシングルの中でも1,2を争う好きな曲でもあります。ただ、残念ながらセールス的にはいまいちだったのですよね。正直、最後の曲なので、ファンがたくさん買うのではないかと睨んでいましたし、しかもそれまでにないような良い曲だし、売れるだろうと、私は踏んでいました。ところが結果はオリコン最高16位、売上11.7万枚と、横浜銀蠅8枚のシングルの中では、ともに最低の成績で終わってしまったのです。結局横浜銀蠅に求めていたものは、これではなかったということなんですかね。『ツッパリHigh School Rock'n Roll (登校編)』『ツッパリHigh School Rock'n Roll (試験編)』(1981年1月)の不良高校生だったり、『羯徒毘璐薫'狼琉』(1981年6月)のクレイジーライダーだったり、『お前サラサラサーファー・ガールおいらテカテカロックンローラー』(1982年2月)のロックンローラーだったり、若さゆえにカッコをつけているけれど青くさい、そんな青春ソングを求められていたとすると、『哀愁(わかれ)のワインディングロード』は成長して、ちょっと大人になりすぎてしまったのかもしれません。
《ひとり雨のハイウェイとばす》《ウィンドウを開ければ》《マシンがないてるぜ》《ヘッドライトに浮かぶ》乗っているのはバイクではなくて4輪車、別れた恋人とのことが頭の中を離れないまま、その想い出を振り切るためにひた走る雨の中。こういった曲なら、別に横浜銀蠅でなくても、歌うアーティストは他にもいるでしょう?といった感じだったのでしょうか。この曲があまり脚光を浴びずに、横浜銀蠅が終わってしまったことが個人的にはちょっと残念で、今回取り上げてみたのです。ただこの曲のサビ、某ムード歌謡曲とちょっとメロディーが似ているということは、当時から気にはなっていました。『星降る街角』のことですけど。