80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.124

 

誰よりもLady Jane  BE∀T BOYS

作詞 A.Meursault (麻生圭子)

作曲 T.Takamizawa(高見沢俊彦)

編曲 S.Takebe(武部聡志)

発売 19895

 

 

 

楽器を持たないTHE ALFEEのメンバーによるダンスコーラスグループの最大ヒット曲

 

 まだ売れない時代の1981年、最初は自分たちの名前を伏せ、覆面グループ的な感じで始まったBE∀T BOYSでしたが、やがてTHE ALFEEがブレイク。改めて踊りながら歌う3人組グループとして活動再開、198811月に7年ぶりのシングルHEARTBREAK LONELY RAINをシングルリリースすると、オリコン13位、売上3.5万枚という結果を残しました。これがなかなかかっこいい曲で、楽器を置いてきびきびとした振り付けで歌う姿は、いつものTHE ALFEEとはまた違った魅力を発揮していました。そんなBE∀T BOYSとしての活動が知れ渡った中でリリースした通算3枚目のシングルが『誰よりもLady Jane』でして、これがオリコン7位とトップ10入りを果たしたのです。

 

 この『誰よりもLady Jane』がこれまたなかなかの良い曲。ステージで歌う時などは、グループサウンズ風の衣装を着て歌ったりもしていたのですが、曲の方もグループサウンズ的な雰囲気を漂わす、ちょっと懐かしさを感じさせるメロディーに仕上がっています。作曲は高見沢俊彦ですが、この手のGSチックな音楽は、とんねるずに提供した『大きなお世話サマー』ですでに実証(?)済みということで、今度は自分たちのために、GS路線の曲を作ってきたのでした。本格的なロックバンドTHE ALFEEとしては期待されているものを守るためにも、遊ぼうと思っても限界があるでしょう。ですからこの同じメンバーでの別ユニットBE∀T BOYSという形や、他のアーティストへの提供曲の中で、いろいろと遊び心を加えていくことをしたのでしょうね。とんねるず以外にも、明石家さんまとか猿岩石とかのお笑いタレント、さらにはふなっしーにまで楽曲を提供する高見沢俊彦の幅の広さは、BE∀T BOYSでも十分に生かされたのでした。そして解散もせず今に至るまで、休むことなく一線で活躍を続けられてきたというのも、そんなグループとしての柔軟性に因るところも大きいのではないでしょうか。

 

 作詞した麻生圭子の歌詞も、見事に世界観を創り出すのに貢献しています。前述の『大きなお世話サマー』にどことなく雰囲気が似ている歌詞なのですが、これが高見沢俊彦の作るGS風メロディーのなせるわざなのかもしれません。遠い夏に恋したLady Janeに対し、愛してると自分の気持ちを素直に言えることができなかった後悔を延々と歌い続ける、ある意味女々しい歌ではあるのですが、BE∀T BOYSという形態をとることで、それもまたどこかシャレになっているのですよね。これはTHE ALFEEではできないと思います。同じ3人で歌っているのだから、THE ALFEEとしてリリースした方が売れるでしょ?という考えもあるかもしれませんが、全く異なる世界感ですし、THE ALFEEでこれをやってしまうと、やっぱりかっこ悪くなってしまうでしょう。BE∀T BOYSだからかっこいいのです。

 

 そのBE∀T BOYSは続くシングル『ふたりだけの夜』(19907)もオリコン8位に送り込みますが、ここでまた一旦この企画は終了。次のシングルはさらに6年後の1996年になるわけで、その時の最高位は14位。結果『誰よりもLady Jane』はBE∀T BOYSとしての最大のヒット曲(とはいっても、本体に比べると雲泥の差ですが…)ということができるのです。