80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.107

 

Mother‘s Touch  藤井郁弥

作詞 松本隆

作曲 宇崎竜童

編曲 久石譲

発売 198812

 

 

 

Wミリオン曲に先立ち、藤井郁弥名義チェッカーズ在籍時代にリリースした唯一のソロシングル

 

 いうまでもなく藤井郁弥は人気バンドチェッカーズのボーカルです。バンドのボーカルが敢えてバンドを離れて、ソロシングルを出すということは、バンドではできないことがそこにあるからなのでしょうと想像するわけですが、藤井郁弥がこの曲でしかやれなかったということは何なのでしょうか。鶴久政治の回で触れましたが、1987年から1989年にかけて、藤井尚之、藤井郁弥、高杢禎彦、鶴久政治といったチェッカーズのメンバーが次々にソロシングルをリリースしています。普段メインボーカルではない尚之、高杢、鶴久については、自分がメインボーカルの歌を出したいというのはわかりますが、敢えてボーカルの郁弥までもがソロシングルを出しのですよね。それが『Mother’s Touch』です。

 

 藤井郁弥はチェッカーズ解散後に藤井フミヤと表記を変更して、本格的にソロシンガーとして再出発しますが、その第一弾シングル『TRUE LOVE』(199311)がオリコン5週連続1位の売上202.3万枚の特大ヒットとなります。また『Another Orion』19968月)もオリコン最高1位、98.9万枚と大ヒット。それに比べて『Mother’s Touch』は最高順位こそ2位ながら、売上枚数は17.3万枚と見劣りします。もちろん90年代に入ってからCDがバカ売れし出したという、時代環境が違うことはありますが、同じ時期にチェッカーズとしてリリースしたシングルとほぼ似たような売上にとどまっています。

 

 『Mother’s Touch』に関して目を引くのが、作詞者と作曲者です。チェッカーズはデビューしてしばらくは売野雅勇、芹澤廣明を中心としたプロの作家の作った曲を歌っていましたが、198610月の『NANA』以降は、作詞は藤井郁弥、作曲はメンバー持ち回りによる作品へと変わっていきます。ところが 『Mother’s Touch』は作詞が松本隆、作曲宇崎竜童という、プロの作家の名前が並び、さらにそれまであまり組んだことのなかった作家ということで、このあたりがチェッカーズではできない曲ということになるのかもしれません。胃腸薬のCMソングにもなっていますが、企画として、歌手、作詞作曲、タイアップとどういう順番で決まっていったのかが分からないので、松本隆&宇崎竜童という選択がどの段階でなされたのか、気になるところではあります。

 

 さてその作曲の宇崎竜童ですが、山口百恵の多くの楽曲や自身が所属したダウンタウンブギウギバンドの楽曲の作曲が有名ですが、それ以外の代表曲というと、薬師丸ひろ子『紳士同盟』、郷ひろみ『禁猟区』、田原俊彦『ベルエポックによろしく』『あッ』、内藤やすこ『想い出ぼろぼろ』、柏原芳恵『ちょっとなら媚薬』、郷ひろみ&樹木希林『お化けのロック』、ジェロ『海雪』、高田みづえ『硝子坂』あたりで、やはり山口百恵とのタッグでのヒットが目立ちます。ラインアップをみても、藤井郁弥と宇崎竜童のタッグは、どこか異質なものを感じます。

 

 ただし、楽曲自体に違和感はまったくありません。チェッカーズの楽曲としてリリースしてもけっしておかしくなく、そのあたりが逆にソロ曲としての弱さを感じないではなかったです。詩の内容は胃腸薬のCM曲ということもあり、癒しの曲になっています。歌詞は特に顕著で、タイトルにあるような「母性」をテーマにはしているものの、私のお母さん、あなたのお母さんという個別の問題ではなく、地球そのものを母に見立てたような、スケールの大きい歌詞になっています。《みんな地球の子さ 触れた指から 命が流れ込むよ》《愛は大きいよね 宇宙みたいに ぼくらを包みこむよ》なんて、実に壮大です。それでいて《痛みを消してあげる》なんて、薬のCM曲のつぼもきちんと押さえてあるのですよね。

 

 実はこの曲、テレビの音楽番組ではいっさい披露していないようで、どうやらチェッカーズとは分けて考えていたみたいです。あくまでも一回限りの企画物というスタンスだったようで、それだからこそ、松本隆&宇崎竜童との組み合わせが実現したのかもしれません。

 

 藤井フミヤのソロデビュー曲は『TRUE LOVE』だと思っている人が結構多いのではないでしょうか。でも実はその前に一曲出していた、というのが『Mother’s Touch』なのですね。