80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.92
君のハートはマリンブルー 杉山清貴&オメガトライブ
作詞 康珍化
作曲 林哲司
編曲 林哲司
発売 1984年1月
「ドライブ」「水辺」「夕暮れ以降」の3要素をすべて盛り込んだ、これぞ杉山清貴&オメガトライブど真ん中の一曲
杉山清貴&オメガトライブは1983年4月『サマー・サスピション』でデビュー、シングル7曲をリリースして、わずか2年半で活動を終え、別の形での音楽活動へ移っていきます。しかし7曲しかないからこそ、これぞ杉山清貴&オメガトライブという形が明確なものとして残っているともいえようかと思います。1980年代の半ばあたりは、いわゆるシティポップといわれる音楽の全盛期にあたり、杉山清貴&オメガトライブは稲垣潤一や角松敏生、山本達彦らとともに、この時期のシティ・ポップ・アーティストの代表として捉えられる存在でした。
その中でも杉山清貴&オメガトライブの楽曲で歌われる世界はかなりきちんと統一されていて、特にシングル7枚についていうと、「ドライブ」「水辺」「夕暮れ以降」というこの3要素でほぼ語りつくせるものになっているのです。これによって、ドライブ・デートでのBGMソングとしての役割をきちんと果たすべく楽曲が輩出され、そのすべてがヒットへと繋がっていったのでした。せっかくなので、7枚のシングルの歌詞の中の3要素をあたってみましょう。
『サマー・サスピション』(1983年4月)
・ドライブ《Highwayハンドル持つ 細い肩が震えてたね 急にウィークエンド ドライビング》
・夕暮れ以降《スモールライトだけで 夜に飛び込む》
『ASPHALT LADY』(1983年10月)
・夕暮れ以降《口説き落としたよ たそがれのワイン》《夜の雨 ヒールを脱ぎ捨て》
『君のハートはマリンブルー』(1984年1月)
・ドライブ《ダッシュボードに顔を沈めて》
・夕暮れ以降《夕陽をあつめる ツイードのジャケット》
・水辺《季節外れのバスが1台すれちがう 海が見える道》
《過ごした時間 今日からは波に捨てて》
『RIVERSIDE HOTEL』(1984年10月)
・ドライブ《君を乗せた白いクーペ先に着いた》
・水辺《Yes Riverside Hotel》
『ふたりの夏物語』(1985年3月)
・夕暮れ以降《流星にみちびかれ 出会いは夜のマリーナ》
・水辺《銀のビーチで 濡れた素肌抱きしめ 涙を海に返すのさ》
《波に傾くホワイト・ディンギー 渚の恋に似てる》
『サイレンスがいっぱい』(1985年5月)
・夕暮れ以降《夕暮れの背中から 星降る夜が降りてきて》
・水辺《月の灯りを逃げて プールサイドのテーブルに》
『ガラスのPALM TREE』(1985年11月)
・ドライブ《ためらいを切り裂いて 空に伸びてくヘッドライト》《アクセルを踏み込めば》
・夕暮れ以降《夜霧の彼方 道は分かれる》《真冬の月あかりを集めて》
・水辺《青い海の底を泳ぐように車は走る》《あなたの心にさざ波が》
一部比喩としての表現もありますが、7曲中ドライブシチュエーションが4曲、夕暮れ以降の描写が6曲、水辺が出てくるのが5曲と、かなり徹底されています。この中でも3要素すべて備えているのが、『君のハートはマリンブルー』と『ガラスのPALM TREE』ですが、『ガラスのPALM TREE』での水辺の描写は比喩的な使い方になっていますので、『君のハートはマリンブルー』こそが、まさに「THE 杉山清貴&オメガトライブ」といえる楽曲ではなかろうす、ということで今回のメイン曲にとりあげたわけです。
セールス面についてふれますと、『サマー・サスピション』はオリコン9位、売上27.1万枚といきなりのヒットとなりましたが、『ASPHALT LADY』はオリコン36位、売上3.7万枚と大きく減らし、このまま一発屋で終わるのか、ヒットアーティストとして頑張っていけるのかという重要なポイントとなったのが3枚目のシングル『君のハートはマリンブルー』だったのです。この曲はTBSドラマ「年ごろ家族」の主題歌にも起用されたこともあり、オリコンでは最高12位でしたが、売上24.9万枚と、デビュー曲に迫る売上を残したのです。さらにはテレビのランキング番組でも何度か登場し歌ったことで、一般的にもヒット曲という認識を与えることに成功、これにより杉山清貴&オメガトライブは安定した人気を獲得することが叶ったわけです。
以後『RIVERSIDE HOTEL』以降の4枚はすべて売上10万枚超え、さらに『ふたりの夏物語』以降の3枚はすべてトップ10入りと、人気絶頂のまま、その活動を終えることができました。その意味で『君のハートはマリンブルー』は、杉山清貴&オメガトライブのコンセプトが明確になり、安定した支持を獲得したターニングポイントとなった曲といえるでしょう。そしてそれぞれソロアーティスト杉山清貴、新バンド1986オメガトライブとしての成功へと繋がっていくわけなのです。