80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.91

 

ドキドキHeartのバースディ・パーティー  岩井小百合

作詞 翔

作曲 Johnny

編曲 馬飼野康二

発売 19833

 

 

 

銀蠅一家のマスコット・ガールが舌足らずな声で歌う、ちょっと恥ずかしくなるような誕生日おめでとうソング

 

 当時芸能界で勢力を拡大していた横浜銀蠅。嶋大輔や杉本哲太といった弟分ばかりでなく、妹分も登場してくるのですが、まず先にデビューしたのが麗灑(りさ)という、まさに女版銀蠅といった風貌の女性歌手で、198210月にROCK'N ROLL恋占い』でシングルデビューを果たします。しかしやっぱり可愛い子が良かったのでしょうね、アイドルの領域にも進出、銀蠅の次妹として19831月にデビューしたのが岩井小百合でした。デビュー曲『ドリーム ドリーム ドリーム』は作詞と作曲をメンバーのTAKUが担当しましたが、まったく銀蠅臭のないアイドルソングで、オリコン最高19位、売上枚数10.2万枚と、この年の新人賞レースに向けてまずまずのスタートをきりました。デビュー時点の年齢が14歳とまだ中学生、まったく銀蠅とは通ずるもののない、童顔、舌足らずな声で幼さの残る印象が強い印象でしたが、そんな彼女が銀蠅ファミリーの一員であるというそのギャップと話題性が良かったのでしょうね。

 

 さらに岩井小百合は、このデビューの年に、怒涛のようにシングルを連発していきます。2枚目のシングル『ドキドキHeartのバースデイ・パーティー』はデビューから2か月も経っていない3月に発売。さらにその1か月後の19834月に3枚目『いちごの片想い』19837月に4枚目『恋・あなた・し・だ・い!』198311月に5枚目『水色のラブ・レター』と、なんと1年で5枚もリリースしたのです。その積極的な攻めの姿勢で、この年の新人賞レースにもほとんど参戦を果たしたのです。ただこの1983年はアイドル不作の年といわれ、他に目立って活躍した新人女性アイドルがいなかったということは事情としてありました。

 

 さてこの2枚目のシングル『ドキドキHeartのバースデイ・パーティー』も銀蠅メンバーが作った曲でしたが、作詞は翔、作曲はJohnnyが担当しています。ただこの曲、結構こっ恥ずかしくなるようなアイドルソングでして、14歳の童顔の岩井小百合が歌うから許せるギリギリのラインで、まあこれを強面の翔が詩を書いたと考えると、なかなか微笑ましいものがありますね。曲はいきなり男(多分銀蠅メンバー)の掛け声的なコーラスから始まり、《OK! ファイト! レッツゴー! S、A、Y、U、R、I サユリちゃーん!》ですから、これだけでモゾモゾッとくすぐったい気持ちになります。そのあと本人の歌唱部分に入っていくのですが、なんともこそばゆい歌詞が続くのですよね、これが。《みんながわたしのために 祝ってくれるのバースデイ・パーティー》《大事なFirst Kissをいたずら夜風に盗まれ》なんて歌った後、今度は男の声との掛け合いが始まります。《(サユリちゃーん)今行くわ (サユリちゃーん)待っててね (サユリちゃーん)なーに? (恋人いるの?) 夜風に聞いてね 今夜は》ですって!。そして2番になると《(誰が好きなの?)そうねアナタ かもね》ですからね。いやはや…。

 

 そんな感じの2枚目のシングル『ドキドキHeartのバースデイ・パーティー』は、結果としてオリコン最高は20位、売上は6.5万枚という実績をあげました。さらに『いちごの片想い』が16位で7.0万枚、『恋・あなた・し・だ・い!』が20位で8.4万枚、『水色のラブ・レター』が196.0万枚と、デビュー年に出した5枚はいずれもトップ20入りの安定した実績を残し、まずは怒涛のシングル攻勢は成功したといっていいでしょう。ただし、翌1984年になると勢いは急に衰えていきます。1983年には不作だった女性アイドルも、岡田有希子や菊池桃子などの逸材の登場で再び活気づいていくとともに、前年デビュー組の人気は下降していきます。そんな中でもコツコツと音楽活動を続けていく岩井小百合でしたが、1987年に某テーマパークでデート中に彼氏が突然死んでしまうという不幸なスキャンダルにも見舞われ、アイドルとしての活動はここでほぼTHE ENDとなってしまったのでした。もっともその後結婚してお子様にも恵まれたようで、表に出てくることはほとんどないですが、幸せに暮らしているとも伝わってきます。