80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.87

 

完全無欠のロックンローラー  アラジン

作詞 高原茂仁

作曲 高原茂仁

編曲 高原茂仁

発売 198111

 

 

 

のちに一発屋の代表格となったポプコン出身バンド唯一のヒット曲であるパロディ・ソング

 

 日本のヒットチャートにおいては、その昔から今に至るまで、多くの「一発屋」と呼ばれる歌手・アーティストが誕生しては消えていきました。その数多くの一発屋の中でも、唯一のヒット曲のインパクトが絶大で瞬間風速がものすごかったにも関わらず、それ以外の曲が箸にも棒にもかからないほど売れなかった歌手・アーティストほど、いつまでも一発屋の代表的存在として語り続けられることになります。このアラジンというバンドは、まさにその一発屋の中の一発屋、キング・オブ・一発屋といった存在で、今でも一発屋のバンドときかれて真っ先に出てくるのが、40代以上の世代であったら、大事MANブラザーズバンドか、このアラジンかといった具合ではないでしょうか。この二つのバンドに共通しているのは、ボーカル兼リーダーが時折一人でテレビなどに出演し、唯一のヒット曲を歌うことが時折あるということで、まったくメディアに顔を見せない一発屋連中に比べて、聴く側の記憶が薄れないというののもあるのかもしれません。

 

 このアラジンというバンドは、当時新人ミュージシャンの登竜門であったヤマハポプコンの出身で、第22回大会でグランプリを獲得し、鳴り物入りでデビューを果たしたのです。そのグランプリ獲得曲が『完全無欠のロックンローラー』でして、この曲はある意味かなりふざけた曲でありますから、それでもグランプリを獲得したということは、当時の審査員にも強烈なインパクトを残したということなのでしょうね。前後を見ると第21回グランプリが伊藤敏博『サヨナラ模様』、第23回グランプリがあみん『待つわ』と、いずれも大ヒットしましたが、正統派のどちらかというとフォークソング系でしたで、かなり異色といえば異色だったのかもしれません。もっともこのアラジンのヒットで気を良くしたか、第27回コンテストにおいて、再びインパクト絶大のコミックソング風の曲をグランプリに選ぶのですが、それについてはvol.36『顔』に記してあります。

 

 さて、デビュー曲としてリリースした『完全無欠のロックンローラー』は、ポプコンの審査員だけではなく、一般の音楽ファンにも受け入れられ、音楽チャートを急上昇。オリコンでは最高7位でしたが、テレビのランキング番組でもランクインし、出たがりのグレート高原(高原兄)は毎週のようにテレビで大暴れしたことで、かなりのインパクトを残したことには違いありません。私自身、典型的なロックンローラーのパロディのような出で立ちで歌う俺さまソングは、一回聴いただけで、それまでに感じたことのない衝撃があったことも事実です。ですからこの『完全無欠のロックンローラー』は、売上29.9万枚という数字上の実績以上に、人々に与える印象は強かったのではないでしょうか。まさに記録より記憶に残る作品ということですね。

 

 簡単に言ってしまえば、自称スーパースター・ロックンローラーが、俺ってすごいだろう、スターだろうっていう歌なのですが、一方でロックンローラーをどこか揶揄しているようなところもあって、実はパロディソングでもあるのです。《ポマードベッチョリ クールでバッチリ Aちゃんになりすます》と歌詞にもありますが、歌う格好も含めて矢沢永吉を意識していることは間違いないでしょう。また《ツッパッテ ツッパッテ》と連呼するあたりは、当時人気の横浜銀蝿の決まり文句を使って、ロックンローラー=ツッパリ的なイメージを使って遊んでいます。また、ロックンローラーというわけではないですが、もんた&ブラザーズの『ダンシング・オールナイト』のサビの《ダンシング・オールナイト》を茶化して歌ってみたりと、ある意味やりたい放題だったのです。

 

 そんな形で一気に人気者になったアラジンでしたが、次にリリースしたシングル『ロックンローラー大放送』は、タイトルからしていかにも二番煎じ的で、この曲は結果的にほとんど売れませんでした。オリコン最高45位で2.3万枚。ヒット曲の次作としては寂しいもので、世の中そう甘いものではありませんでした。この手のコミックソング、パロディソングは最初のインパクトが重要であって、似たようなものを続けて出しても、なかなか難しいということでしょうね。その後は高原一人でタレントや作家、ビジネスマンなど多方面で活躍。のちに羞恥心『羞恥心』(20084)を作った(島田紳助共作)ことでも話題になりました。