80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.82

 

シルエット・ロマンス  大橋純子

作詞 来生えつこ

作曲 来生たかお

編曲 鈴木宏昌

発売 198111

 

 

 

来生姉弟の創り出すアンニュイな世界の中で、女性の秘めた恋心を、抜群の歌唱力で見事に歌い上げた一曲

 

 大橋純子は1974年に歌手デビューし、19788月に発売した10枚目のシングル『たそがれマイ・ラブ』がオリコン2位、売上51.7万枚の大ヒット。抜群の歌唱力を武器に、どこかミステリアスな雰囲気のショートヘアがトレードマークになって、一躍知名度をあげることになりました。しかしながら、『たそがれマイ・ラブ』のあとは、次第に売上は低下していき、大ヒットからすでに3年経過し、このままだといわゆる「一発屋」的な存在になってしまうような状況になっていました。そんな頃にめぐりあった曲が『シルエット・ロマンス』でした。ただ、かつての大ヒット歌手だからといって、しばらく低迷していたシンガーの新曲に大衆がすぐに飛びつくわけもなく、リリース当初はさほど売れませんでした。

 

 しかしながら、翌1982年に入ってから、少しずつチャートを昇り始め、次第に人々がこの『シルエット・ロマンス』を耳にすることが増えていき曲の良さが支持されると、半年後の19825月に、オリコン7位にまで昇りつめたのです。テレビの音楽番組でも毎週のように登場し、売上も42.8万枚を上げ、『たそがれマイ・ラブ』以来のヒット曲となったのでした。これで大橋純子は一発屋のレッテルを貼られずに済んだだけでなく、年末にはレコード大賞の最優秀歌唱賞まで獲得し、シンガー大橋純子としての評価を定着させることになったわけです。

 

 それでは、なぜ、この曲がじわじわと売上を伸ばして、最終的に大ヒットになったのでしょうか。もちろん楽曲が良かったというのはベースとして当然あるでしょうし、一度ヒット曲を出している大橋純子という名前への信頼感もあったでしょう。ただそれ以上に大きかったのは、作詞来生えつこ、作曲来生たかおの姉弟による作品だということがあるような気がします。当時、特に作曲を担当していた来生たかおは、薬師丸ひろ子の『セーラー服と機関銃』(198111)と、さらにそれをセルフカバーした『夢の途中』(198111)の大ヒットによって、一躍注目の作曲家になっていたのでした。そんな中で他の曲はないかと物色され始めたところで見つけられたのが『シルエット・ロマンス』だったのです。

 

 来生たかおの作り出す曲にはどこか独特のけだるい雰囲気があって、さらには本人が歌うとそのけだるさが増してくるというところがあります。そしてそんな弟の個性を熟知した姉が、独特のメロディーに相応しい詩をつけてくるので、そのあたりは実にいきがぴったり、見事なのです。『シルエット・ロマンス』では、歌うのが歌唱力抜群の大橋純子という大人のシンガーということで、アイドルには歌えない大人の恋を歌詞にして創り上げてきました。静かに秘めた中にも熱い思いを感じるような歌詞と、ゆっくりしっとりと聴かせるメロディー、そしてそれらを見事に表現できるボーカル、詩と曲と歌が見事に調和して、見事な作品に仕上がったこの曲、子供にはなかなかこの曲の良さは分からなかったかもしれません。当時中学生だった私も、この曲がなぜここまでヒットするのか、当時はピンとこなかったところがありましたが、大人になって聴いてみると、曲の良さが不思議とわかってくるのです。むしろ近年はこうした大人の曲がヒットするということはまずなく、そういう意味では1980年代という時代は、若者だけでなく大人も音楽を対等に楽しめる時代だったのかもしれません。

 

 来生たかおはさらにこの年、中森明菜の『スローモーション』『セカンド・ラブ』で注目され、以後は多くのヒット曲を提供する作曲家としての地位を確立していくことになります。代表曲はvol.47Rememberで触れていますので、そちらも見てみてください。一方大橋純子はボーカリストとしての評価を確立、ソロでのヒット曲は、この後はこれといって出ていませんが、デュエット曲で話題になったりと、活躍の幅を広げていくことになります。