80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.49
4月のせいかもしれない 佐野量子
作詞 秋元康
作曲 後藤次利
編曲 後藤次利
発売 1987年3月
知名度のわりに歌では苦戦した、のちに偉大なジョッキーを射止めるアイドルの、キャリア最大売上のシングル
佐野量子といえば、天才ジョッキー武豊の妻としての立場が長くなり、40代前半までの人は、かつてのアイドル時代の彼女のことはおそらく知らないことでしょう。アイドルとしての佐野量子は、どこかふんわり、おっとりとしたキャラクターで、嫌味のない可愛らしさが、タモリや関根勤、小堺一機などのお笑いの実力者から可愛がられ、バラエティー番組にもよく出演していました。なかでも「笑っていいとも」にはレギュラー出演している時期があり、名前と顔もわりと浸透しているアイドルでした。童顔でいつもニコニコしているので、好感度も高かったですね。
ただ、なぜか歌は苦戦し、なかなか売れなかったです。デビュー曲『ファースト・レター』はオリコンで100位圏外と、かなり厳しいスタート。2枚目『蒼いピアニシモ』でようやく72位となりますが、3枚目『雨のカテドラル』72位、4枚目『教科書のイニシャル』が81位と超低空飛行。タイトルが凄いと狭い界隈でちょっとした話題になった5枚目『瞳にピアス』でようやく48位、6枚目『夢からさめない』が49位と、なかなか伸び悩んでいました。ここまでの作品の作詞は、タイトルから想像できると思いますが、すべて秋元康。作曲は水谷公生か松尾一彦(オフコースのメンバーですね)。そんな状況の中でリリースした7枚目のシングルが『4月のせいかもしれない』でした。これも作詞は秋元康でしたが、作曲は後藤次利が担当、派手ではないですが、切なさを誘うメロディアスな作品になっています。
結果として、オリコンの最高位は45位と、わずかながら『瞳にピアス』を上回る自己最高順位、売上枚数も少ないながらも1.9万枚と、過去最多となったのです。その後、順位としては13枚目の『さよならが聞こえない』で32位というのが最高記録となりますが、売上枚数としてはこの『4月のせいかもしれない』を上回ることができませんでした。ただいずれにせよ、歌では苦戦しました。この頃のアイドル歌手は、事務所が売出しに力を入れれば、デビュー曲ぐらいはオリコン20位から30位ぐらいには入ってくることが多かったので、佐野量子の知名度を考えると、どうしてここまで売れなかったのかは不思議ではあります。
さて『4月のせいかもしれない』ですが、時々女性アイドルが歌わされる、男詩になっています。つまり一人称が“僕”になっていて、このあたりいかにも秋元康が書いてきそうな歌詞なのですよね。”僕”と“君”の別れは誰のせいでもない、敢えて言うなら四月のせいだよと、ある意味男のずるさを表しているような歌なのです。言葉の使い方一つ一つが秋元康ワールド全開といった感じで、当時の秋元康は、アイドルに対してはみんなこんな雰囲気の詩を書いていたようなイメージがあります。それを佐野量子にも歌わせたのですが、佐野量子自体、それまでのシングルもほぼすべてが暗い歌ばかりなのですよね。強いて言えばデビュー曲『ファースト・レター』は明るめですが、それでもゆっくりとした優しい曲です。アイドルらしさ全開の夏ソングとか、可愛らしいコミカルな恋愛ソングとか、このシングルまで一切無縁だったのです。本人はにこにこと優しい女の子なのですが、なぜか悲しくせつない曲調ばかり。
ただ佐野量子は残念ながら、歌唱力がいまいちだったのですね。デビュー時から比べると上手にはなりましたけれど、それでも不安定な部分は残っていたのですね。その点で、あまりいろいろな曲に挑戦させてもらえなかったのかなと思ったりもしますが、ぶりぶりのアイドルソングを歌う佐野量子も、もっと観たかったかもしれません。
さてさてその後も、歌ではパッとしなくても、テレビ番組では活躍を続け、そして天才ジョッキーの妻の座を仕留めた佐野量子さん。表舞台に立つことは一切なかったのですが、ちょっと前に、旦那様が週刊誌で写真を撮られたときに、リポーターに対応する場面で久しぶりにお姿を拝見しましたが、相変わらず優しそうで可愛らしい感じでした。