80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.34
j・e・a・l・o・u・s・y 池田聡
作詞 湯川れい子
作曲 タケカワユキヒデ
編曲 清水信之
発売 1987年1月
デビュー曲が大ヒットしたシンガーが、甘くソフトな声でせつない男心を歌った、映画のワンシーンのような一曲
『モノクローム・ヴィーナス』で彗星のように現れたシンガー池田聡。CMソングに起用されたことで評判を呼び、オリコン週間9位、22.8万枚を売り上げるヒットになりました。池田聡というと、まずはそのすべてを優しく包み込むようなソフトな歌声が持ち味で、『モノクローム・ヴィーナス』ではそのボーカルを生かしながらも、サビのたたみかけるような強く印象に残るメロディで、聴き心地が良いのにインパクトのある作品に仕上がっていました。
そのヒット曲に続くシングルということでリリースされたのが『j・e・a・l・o・u・s・y』だったのです。1曲目がヒットすると、同じような路線で手堅く勝負ということも多くあるのですが、ヒリヒリするような焦燥感あふれる前作に比べ、テンポをぐっと落としたバラード調の曲で勝負してきました。作家陣も変更したこの曲は、これまた池田聡の歌唱や声質にぴったりはまった、美しいメロディラインで、池田聡が男の嫉妬心を静かに歌い上げています。けっして派手ではないですが、聴けば聴くほど味わい深くなっていく、なかなか素敵な曲なのです。池田聡はこんな静かに歌い上げるバラードもいけるんだよと、ボーカリストとしての幅広い対応力を示すためのシングル曲でもあったのです。
作詞は湯川れい子。女性に響くような大人の詩を望んでの依頼だったのでしょうか。《ロフトのソファー 透き通る横顔 瞳はなぜか 遠くを見てる》と、閉じられた空間の中で二人きりでいながら、心が通い合っていない冷たい空気をいきなり感じる出だしで始まります。《海の匂いのガレージにもたれて》では、都会から離れ静かな海を臨む場所に建てられた家を想像させ、おしゃれ感はあるのですが、一方で人寂しさを感じさせるようなシチュエーションを提供してきます。《答えてくれ 僕だけのものと その瞳の優しさ 降りそそいで》《聞かせてくれ 永遠はあるの 求めるほど 虚しさ星になるよ》と女性に対して永遠に独占したい気持ちを訴えかける男に対し、《恋はゲームと笑った言葉》《時にわたしも 誰かの胸で泣きたいだけ》と男の気持ちを逆なでするような言葉でクールにふるまう女。男と女の相手に対する思いの格差に、男は嫉妬心であふれかえるという、とにかく男側からすると苦しく切ない歌詞になっています。まるで恋愛映画のワンシーンのような歌なのです。
作曲はタケカワユキヒデ。こんな美しくせつないメロディを創り出すことができるのかと、当時意外に思ったことを覚えています。どうしても『銀河鉄道999』や『モンキー・マジック』のイメージが先行してくるので仕方ないのですが、こういう曲も実はいけるのですよね。実はなかなかのメロディメーカーでもあって、ちょくちょく他のアーティストにも曲を提供しています。主なところでは、中森明菜『SOLITUDE』、酒井法子『渚のファンタシィ』、松田聖子『旅立ちはフリージア』、浅香唯『STAR』などがあります。聖子と明菜、両方のオリコン1位曲を作曲していたのですね。それはともかく、この『j・e・a・l・o・u・s・y』は、詩と曲と歌のすべてがマッチした、せつなくも美しい曲に仕上がっていたのです。
シングルチャートも、前作で名前を売ったおかげもあり週間14位と、けっして派手ではない作品にしては、まずまずの成果をあげました。私もこの曲は大好きで、シングルレコードを買ったりもしてしまったほどです。なので、もう少し上位にはいってほしかったという気持ちはあったのですが、続く『濡れた髪のLonely』(1987年4月)でオリコン8位と自己最高順位を記録します。さらに次の『BEFORE』(1987年9月)が14位と、1986年末~1987年が池田聡のアーティスト・パワーが最も強い時期でした。
ただこの時期は、日本の音楽界ではシングルレコードの売上がちょうど低迷していた時期。アナログレコードからCDへの移行の中で、アルバムに比べシングルが一歩遅れていたためということもありました。ですから、実は池田聡のシングルレコードで最大セールスを残したのは、実はさらにもっと後の1994年2月発売の『思い出さない夜はないだろう』になるのです(最高16位)。これはドラマの主題歌に起用されましたが、当時はドラマ主題歌はまず必ず売れるという時代で、しかもミリオンシングルが次々に現れるCD全盛期。その恩恵をあずかったということも多少はあったのでしょうね。ただ、その前作が83位、次作が58位の間に挟まれた16位ということで、やはり楽曲の良さというものが根底にあったのには違いないでしょう。