80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.32

 

おんなになあれ  森川美穂

作詞 飛鳥涼

作曲 飛鳥涼

編曲 小林信吾

発売 19873

 

 

歌の上手な女の子から大人の女性ボーカリストへ、進む方向を決定づけた飛鳥涼作詞・作曲による一曲

 

 デビュー曲『教室』で強烈な印象を残した森川美穂。早くからのトレーニングで抜群の歌唱力を持ち、ヤマハボーカルオーデイションでグランプリを獲得しながら、アイドル歌手的な売り出しを強いられ、不満を抱いていたようなところもあったのですが、この6枚目のシングルは作詞・作曲を飛鳥涼に迎え、大人とのボーカリストへ大きく踏み出す一曲となったのです。

 

 森川美穂はそれまでセールス的には目立たなかったものの、デビュー以来印象的な楽曲を歌ってきていました。『教室』は二学期を前に突然退学する女の子の歌で、当時ラジオで頻繁に宣伝が流され、歌詞が衝撃的だったのがとても印象的だったのを覚えています。また3rdシングル『赤い涙』は、校舎の屋上の手すりにもたれたりと自殺を思わせるような歌詞になっているなど、2nd『ブルーな嵐』も含めて重い内容の曲が続き、正直なところ万人受けするような作品ではありませんでした。

 

ところが4thシングルで一転します。『サーフサイド・ブリーズ』は夏の恋を歌った爽やかなポップスで、アイドルらしい曲に仕上がっていましたし、続く5th『姫様ズーム・イン』はまさに名曲と言っていいでしょう。ミノルタカメラのCMで使われたサビが印象的で、明るくそしてどこか哀愁をも感じるメロディーに、森川美穂の伸びのあるボーカルがのって、私の周りの評判の高い曲だったのです。今回森川美穂の一曲として『教室』にするか、『姫様ズーム・イン』にするか、非常に迷ったほどでした。しかしそれでもシングルの売上は伸びなかったのです。オリコンの最高が『姫様ズーム・イン』の36位、売上枚数では『教室』の4.6万枚が最高といった具合で、歌唱力は抜群、楽曲も良い、しかも美人、でも売れなかったのです。

 

基本的に当時はおニャン子がシングル・チャートを席巻していた時期で、アイドルに歌唱力は求められていなかったのですね。しかも近くにいそうな親近感のある女の子が人気を集めていて、可愛いというよりも大人っぽい雰囲気の森川美穂を、アイドルとして売り出そうとすることには、少々無理があったのでしょう。『姫様ズーム・イン』でも売れなければ、もうそこは諦めて方向転換するしかないでしょう、ようやく陣営が本人の意向に沿う形に修正をかけてきたのが、この『おんなになあれ』であったことではないでしょうか。

 

 作詞・作曲を飛鳥涼に依頼してきたというのも、その一つでしょう。飛鳥涼自身が他のアーティストへの楽曲提供を積極的に行うようになっていきたのも、ちょうどこの頃からでした。詩の内容も子供から大人へ変わっていく瞬間を描いたような内容になっていて、当時の森川美穂の状況とリンクするようなところもありましたね。《胸に隠したヒールの理由 ちょっとだけ見ぬいて》《ピンクの紅を いつか赤にして》《心を渡る季節の針 おとなを指してる》このあたりの飛鳥涼の表現が絶妙で、作詞家としてのセンスも感じるところでした。曲調もそれまでにはない、ゆったりと優雅な印象になっていて、それでいてサビの部分では、彼女の伸びやかな歌声が生きてくるようになっています。決して派手な歌ではないですが、前作に引き続き使われたミノルタカメラのCMにも効果的に使われ、アイドルとしてのイメージから脱皮するには、相応しい曲でもあったのでしょう。

 

結果としてそれらの総てがいい方向へと作用したのでしょう、セールスは過去最高の6.3万枚、オリコンの週間最高も18位と、30位に入ったことがなかったのが、初めてのトップ20入りが叶ったのでした。さらに続くPRIDE20位、その次Be Free21位と、それまでの動きとは明らかに上をいくようになり、その意味で大人のボーカリストへの転換は、まずはうまくいったというところだったのです。その後12枚目のシングルBlue Waterで自己最高の17位、8.0万枚を記録。さらに18枚目『君が君でいるために』21位、7.7万枚と、中堅の女性とボーカリストとしての地位を確立していきました。そして現在に至るまで、地に足をつけた活動を続けながら、大学などで後進の指導にもあたっているということです。