好きよ  田村英里子

作詞 松本隆

作曲 筒美京平

編曲 船山基紀

発売 19896

 

 

歌唱力・ルックス・楽曲と三拍子揃った1980年代最後の正統派アイドルによる、質の高いアイドル・ポップ

 

 1980年代最後の1989年の日本の音楽界はまさにバンドブーム真っ只中、音楽チャートは様々なバンドが上位を席巻し、テレビでは深夜のイカ天が大人気。アイドルたちにとっては冬の時代といわれるほど、厳しい環境でした。そのため一人では戦えないと、女の子何人かがグループを組んでデビューするのが主流になってきたのが、ちょうどこの年です。CoCo然り、ribbon然り。そんな中、グループに属さずに単騎デビューし、荒波に立ち向かっていったのが、当時16歳の田村英里子でした。この年デビューした他の一人アイドルとしては宮沢りえがいますが、彼女の場合、歌はついでという感じで、メインは女優業。そういった意味では正統派のアイドルとして田村英里子は孤軍奮闘という状況だったのです。1989年の各音楽祭や音楽賞でも新人賞をとりまくっていました。もっともレコード大賞の最優秀新人賞はマルシアにもってかれてしまったわけですが、今振り返ると、あげるのはマルシアじゃなかったでしょ、と思ったりもするのですが…。

 

 さてデビューから3作は、筒美京平が作曲を担当していますし、2枚目、3枚目は作詞が松本隆ということで、正々堂々正攻法に攻めていこうという事務所の方針、そして力の入れようがそれだけでもわかります。この筒美京平3部作(と勝手に私が呼んでいるだけですが)は、さすがにどの曲もクオリティが高く、良い曲に仕上がっています。それでいて、少しずつ色あいに違いをつけていて、彼女のいろんな顔を見せられるような、そんなラインアップになっていたのです。デビュー曲『ロコモーション・ドリーム』SFチックな空想の中で女の子の妄想が広がっていく可愛らしい曲、一方3枚目の『真剣(ほんき)はやや強めの口調で熱い恋心をクールに歌った曲といった具合に、前作踏襲ではなく、路線を変えて挑んでいるところに、事務所側の戦略も見え隠れしています。その間に挟まれているのが、今回取り上げた『好きよ』なのです。

 

 この『好きよ』は、前作とは変わって現実の世界の等身大の女の子の恋する気持ちを歌った曲です。本当は好きで好きでしょうがないのだけれども、素直にその気持ちを出せないでいる自分自身へのもどかしさを素直な言葉で歌っていて、3曲の中でも最も正統派のアイドルソングと言えるでしょう。《みんな騒ぐから わざと冷たいふりをした》《どこがいいのよ 聞こえよがしに知らん顔》《あなたが髪に触った 黙って頬をぶったわ》《悲しい時も泣かないで平気な顔してた あなたがほかの娘を誘って映画見た時も》《たぶんあなたは気付いてる どんなに必死にかくしても》《プールへ行かないかっていわれて あなたにだけは水着を見せたくないとことわる》…、とにかくさすが松本隆です。要約すれば、私はあなたが好きだけど、いつもそっけない態度をしてしまう、だってあなたはもてもてなんだもん、遊ばれたくないもの、でも…という感じでしょうか。そんな態度をとってしまう私ですが、内心は《いいえ好きよ ほんとは好きよ 一人になると泣きたいくらい》《いいえ好きよ ほんとに好きよ 瞳は正直 嘘をつけない》ということなんですね。

 

 イントロもいいですね。これからワクワクするような夏が待っているという気持ちにもなるような、ウキウキと心が弾むような、これから何か楽しいことが始まるような、そんなイントロなのです。その意味では、『ロコモーション・ドリーム』の音に近い気はします。春、夏と明るめの曲で勝負し、秋になったらちょっと大人っぽい曲調で、賞レースに向けてスパート、そんな思惑でしょうか。

 

そして何よりも、田村英里子は歌もちゃんと歌えるところが良かったです。おニャン子以後、アイドル歌手に歌唱力は必要ないという風潮になりつつもあったところで、ちゃんと歌唱力のある子が活躍してくれるというのは、やっぱり正しいことだと思っていました。お金をとって歌を売っている以上、歌手としてプライドを持って歌を歌う姿は、彼女に限らず素敵なことだと思います。松田聖子、中森明菜をはじめとする80年代のアイドルにはまだそれがあったように思います(もちろん全員ではないですが)。その最後が田村英里子あたりだったのではないかと、今になっては思いますね。

 

チャート的には『ロコモーション・ドリーム』オリコン最高9位、『好きよ』同10位、『真剣(ほんき)9位と、動きはどれも同じような傾向で、当時の取り巻く環境からすると健闘したといえるでしょうが、素材からすると、物足りなさはあったかもしれません。これだけの歌唱力で、ルックスも可愛い、そして楽曲でしたから、デビューがあと34年ぐらい早ければ、もっと上位で活躍していたかもしれません。ほんとうに惜しい素材だったと今でもつくづく思います。

 

 翌年1990年は『プロセス』『Domino』『リバーシブル』6枚目のシングルまでがオリコン週間トップ10入り。5枚目『Domino』もいい曲ですが、6枚目『リバーシブル』がまた名曲なのです。発売が1990年代でしたので、この企画では選べませんでしたが、作詞&作曲が、まだ売れる前の平松愛理なんですよね、これが。ただ、アイドルとしての活躍はこの年まで。2000年代になると海外へ拠点を移し、独自の活動へと移っていきました。