80年代青春歌謡365アーティスト365曲 vol.1

 

ジェームス・ディーンのように  Johnny

作詞 Johnny

作曲 Johnny

編曲 横浜銀蝿

発売 198111

 

 

 横浜銀蠅はツッパリロックだけじゃない、こんな曲も作れるんだぜ! とバンドいちのモテ男が送り出した一曲

 

1回として取り上げるのは、当時横浜銀蝿(THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL)のメンバーのギターとして活躍していたJohnnyのソロデビューシングルです。

 

いかにも荒くれの不良っぽい他のメンバー3(嵐、翔、TAKU)と比べると、雰囲気も声も甘く、当時中学生男子の私からしても、不思議と惹かれるものがあるJohnnyメンバーでした。作る曲もそんな彼の雰囲気に合わせているかのように甘くキャッチーなメロディーで、横浜銀蠅本体の曲調とはまったく違うものに。こんな曲も作れるのかと、また違った目で見るようになったのがこの曲です。

 

『ジェームス・ディーンのように』はオリコンチャートでも週間3位、年間16位ということで結構なヒットとなり、続く『$百萬BABYでは週間1位を獲得。横浜銀蝿本体では最後までオリコンシングルランキング1位を獲得できず終まい(ミュージック・リサーチでは『あせかきベソかきRockn' Roll run』1位獲得)でしたが、ソロとしてJohnnyが唯一獲得したというのが、彼の人気とメロディメーカーとしてのセンスを表しているのではないでしょうか。1983年にはアルバムも発売、当時高校生になったばかりの私も、少ない小遣いをはたいて購入。クラスの友人にその話をすると、貸してほしいと言われ、2人に貸した覚えがあります。

 

メロディメーカーとしてのJohnnyは、弟分である嶋大輔のヒット曲『男の勲章』『暗闇をぶっとばせ』『お前だけI LOVE YOU他、銀蠅ファミリーの岩井小百合、杉本哲太らへも曲を提供。そのほか、横浜銀蠅として西城秀樹に提供している『セクシー・ガール』あたりも、Johnnyの作曲ではないかと思ったりもしているのですが…。いや、まてよ、三原順子の『だって・フォーリンラブ・突然』TAKUでしたね。その線もあるか…。いずれにせよ、グループ解散後、レコード会社のディレクターから役員、社長へと昇りつめたことを考えると、売れるための音楽づくりという点では、やはり傑出したセンスがあったのではないでしょうか。

 

さてこの曲、イントロもほとんどなく甘い声で《おいで Come on 暗い瞳をして すねていないで 走り出そうぜ》と静かにゆっくり囁いた後で、テンポを速め曲も賑やかになり、銀蠅らしいロック調に変わっていきますが、歌詞はシンプル、メロディーも覚えやすく、耳なじみはとても良いのです。当時3つのコードしか使わないと揶揄された横浜銀蠅本体にはないメロディアスな流れで、一気に引き込まれていきます。それでいて〈不良〉〈ツッパリ〉のイメージで売っていた本体のイメージを崩すことのない、《ジェームス・ディーン(ジミー)》《オイルの匂い》《とばすぜHighway》《オールナイト》といったアイコンをきちんと盛り込んでいて、本体のファンをおさえながら、新しいファンも取り込んでいくということに成功し、その結果がヒットに繋がったのではないでしょうか。

 

続く『$百萬BABY』も近い路線の曲ではありましたが、やはりソロとしてJohnnyが初めて示したメロディセンスのインパクトは、『ジェームス・ディーンのように』の方が大きかったとは思います。残念ながら3曲目以降はセールス的に落ち込んでしまうのですが、どうしても色物バンドとして評価されがちの横浜銀蠅にあって、Johnnyの存在というものは、もっと評価されても良かったように思います。

 

直近の横浜銀蠅の活動では、それまで表に出てこなかったJohnnyが参加し、テレビなどで顔を見せてくれていたのが嬉しかったです。