風邪を引き込んで珍しく横になっていた。
姫野達也から電話がある。
七月七日に安部俊幸が死んだという知らせ。
今日の午後に発表になるのでまだ黙っとってね!
発表前に親かった人だけに伝えたと言うこと。
芸能界にも音楽界にも親友と呼べる人は少ない
僕としては家族ぐるみで行き来したのは安部、
姫野、のチューリップ組とめんたんぴんの
飛田一男くらいだった。
6年前に飛田一男が、そして今年、安部俊幸
までもがこの世を去った。
“安部はもうインドで仙人になっとっちゃない?
死んでも死んどらんめぇが”
毎日のように一緒にいた青春の日々の軽口の
ように博多弁が脳裏に浮かぶ。
チューリップに興味を持って、博多弁に興味を
持って吉田彰や安部俊幸からさんざん教えてもらい。
博多弁もしゃべれるようになっていった。
安部曰く
ひろは博多にスパイに入ってもばれんごた。と
言わしめた博多弁。
またしゃべる人がひとり減った。
いつだったかのコンサートに行くと安部が
“おー、冒険君がきとるばい”と言う。
既に知る人も少ないが渡辺貞夫カルテット時代の
アルバムのライナーノーツに
冒険とも思える無名の新人角田を起用して・・・
などと書いてあったのを安部は覚えており、
“おー、冒険君がきとるばい”と言ったのだと
さっき気がついた。
ボーッとした風邪の熱の中で、姫野の声を電話で
聞きながらひとりションボリとした。
娘はこの訃報を聞いて会社で号泣したという。
僕の人生の中でも安部俊幸は大きな存在だった。
あいつがいるだけで安心できる。
そんな存在だった。
チューリップで一番の名曲は“博多っこ純情”
もちろん安部俊幸の詞である。
もう博多に行っても、インドに行っても安部俊幸は
いなくなってしまったんです。
あとは僕とみんなの記憶の中にしかいない安部俊幸
になってしまったんです。
想い出す度にしばらくはショボンとするでしょう。
GIbson335を見ても、姫野にあっても、吉田彰や
上田や風祭にあっても、財津にあっても僕は
ショボンとするでしょう。
今になって思えば吉田彰が心の痛みをのり越えて
勇気を持って少しでも早くチューリップに再結成に
参加してくれたら僕の大好きなオリジナルの
チューリップが見れただろうに・・・・・。
あの道化者が聞けただろうに・・・・・・。
ほんとうに残念、残念です。
名作を作り出すことの出来るアーティストがまた
ひとり僕の人生から欠け落ちてしまいました。
もしあの世があるのなら、たくさんの友人が待つ
あの世も楽しいかも知れませんが、
僕にはまだまだやることが残っているので
友人達を少し長く待たせることになると思う。
あの世があったらまた逢おう。