アメリカ中心の地図を見ると我々の住む日本は
もっとも東に位置する。
だからFENもファー・イースト・ネットワーク
となるわけだ。
極東の小さな島国NIPPONに住む僕にとって
痛恨の極みは世界の素晴らしいエンターテイナー
を気軽に見に行けない現状にある。
見に行く、聞きに行く為にはただひたすら待つか
海外にでかけて行って見に行かねばならない。
どちらも年月や時間や資金が必要になってくる為
そう簡単には見に行く事などできはしない。

僕はビートルズフリークだと自分では認識して
いる。単に大声で“僕は~ビートルズが~!”
なんてアピールはしないだけだ。
なんと言ってもビートルズ登場は僕の青春時代の
一大事件であり、僕が音楽家を目指した主原因の
ひとつであるからだ。
自分自身もビートルズの楽曲をアレンジして
僕なりのビートルズを録音した“BEATSOULS”を
リリースした経緯があるほどだ。

但し、ビートルズ武道館には行けていない。
当時の母校ではビートルズ公演に行ったものは
停学にするというお達しがあった事やチケット
の販売方法が特殊だったことが挙げられる。
高校生でもあり、お金だってなかった。但し、
後になって公演に行った友人がいた事が判明、
誘ってくれれば良かったのにと、とても残念。
結果、兄のつのだじろう宅で、当時はまだ
珍しかったカラーテレビでビートルズを見た。

リンゴスターが来日した折はスケジュール上
無理だった。
つまり、今回のポールマッカートニー公演が
僕にとって初の生ビートルズメンバー公演と
いうわけだ。実に待つ事50年近い時間だ。

ステージは素敵だった71才のポールは
期待以上のパフォーマンスで観客を魅了した。
これ以上彼に要求できない事は皆が納得した。
同時に左右そして後ろで流れる映像も見事で
一瞬一瞬がアートであり、ポールの人生や
ビートルズそしてビートルズ周辺の人々の
懐かしい面影を見る事が出来て満足した。

本当に残念なのは僕と同じように年配の
お客様達は3時間立ちっぱなしのコンサート、
さぞや辛かったと思う。
そもそも踊りたいと思ったり、盛り上がり
たいと思っている方々はどうか他に行って
盛り上がって欲しい。
1曲目から立ち上がれば、その後ろも立た
ねばならず。結果アリーナは立ち見席に・・。
それも他の席より高い値段を払った上にだ。
手に大きなプラカードを掲げている人も居て、
その後ろのお客様はさぞ不快であったろうと
思う。当然、背の低い人はアリーナなのに
よく見える左右に映写されたポールしか
見る事が出来ない。
アリーナって立ち見席なの?なんで椅子が
置いてあるの? 席料って何?

以前、ブルーノートでスライストーンを
見に行った時にも同じ事を感じた。

若者は他人の事が考えられないんだろうか?

自分が後ろの人々にとって迷惑な存在だと
自覚する頭脳がないんだろうか?
50年近く待ちわびて、入場料を払って
やっと見る事が出来ると思っていたのに
人垣の向こうにあるスクリーンを見るなんて
悲劇にもほどがある。

始まった途端にキャロライン・ケネディーは
立ち上がったろうか?
おそらく座っていたに違いない。
彼女は一番前の席だったからだろうか?、
立つ必要がなかったからだろうか?
否、普通の大人は後ろの人に気を配るべきだか
らだ。
飛行機の座席でも先頭の人は後ろに気を遣う
義務があるのだ。そうでなければ先頭の人が
席を倒したら、その後ろも狭くなり席を倒す。
結果、皆が狭い空間のなか席を倒さねば
ならない。
だからこそ飛行機の中では座席の背を倒す時間
が決められており、席を倒すときは充分後ろに
気配りをしてくれとアナウンスがある。

こんなに待ちわびていた人達の事をもっと
考えられるような大人になって欲しい。
日本の若者達。頑張ってくれよ!
僕は期待している。