この年になると大抵のことでは驚かなくなるんだけど、今回はひっくりかえりましたがな。以前から本人より「昔大会で優勝したことあるよ」とは聞いておりましたが、まあ馬耳東風で聞き流しておった訳です、しかし今回ご本人からなんと第2回西日本サーフィン選手権大会の金メダルを見せられてしまい、思考停止状態ですよ、1974年のこの大会にメンA2で出場し、見事に優勝されたんだそうで、これ見ちゃうともう何も申し上げられません、ただただ脱帽であります。それでは詳しくご説明を

第2回西日本サーフィン選手権大会
1974年2th WESTJAPANSORFINGCHAMPIONSHIP
愛知県渥美郡赤羽根海岸
昭和49年7月27日(土)7月28日(日)
主催:ロコ・サーフライダース 名古屋サーフクラブ
後援:中部経済新聞社  赤羽根観光協会
協賛:名鉄百貨店  名鉄セブン
取材:中日スポーツ 東海テレビ

西日本サーフィン選手権大会特別規則
西日本サーフィン選手権大会は名古屋サーフクラブ、ロコ・サーフライダースの主催により行われ、日本サーフィン連盟競技規則に基づき開催される。
主催:名古屋サーフクラブ  ロコ・サーフライダース
オフィシャル:日本サーフィン連盟公認ジャッジ
期日:昭和49年7月23日(土)~7月24日(日)
競技種目:男女ジュニア・メンA1・メンA2・シニア
参加資格:愛知県より西に住んでいるサーファー。
(1)ジュニア 昭和49年7月27日に19才以下であること。
(2)メン    昭和49年7月以前に20才以上であること。
(3)シニア   25才~40才までの男女
参加者は死亡・負傷・サーフボードの損害に対し理由の如何を問わず、その責任は各自が負わなければならない。
役員名 阿出川輝雄・田沼進三・出川三千男・小林正明・善家誠・植田義則・鈴木光彦・伊藤宏之・荻野恭英・祝春樹・進藤英二・森秀郎,石塚義男・川井幹夫・渦尻栄治・鈴木三平・日比野健―・阪野益治

メンがA1とA2に分かれていたのは当時のトップアマをA1に、通常のサーファーをA2にしたと思われます。



そしてこの写真にも本人のお姿が
「確か1975年頃だとおもいます。 湘南のマーボーがライトニングボルトのプロモ~ションでロングビーチに来ました、撮影後はレストランサーフィンへ行き皆でランチしたのを覚えてます。真ん中の上はジェリー・ロペスとリノ・アベリラ・・左端が善家誠・・下の段の左から2番目は添田博道(まだ高校生)・・リノの左隣が近藤茂紀くん・・その左隣が石塚義雄くん・・ロペスの右二人目がエビンのマーボー・・、マーボーの右が今村さん・・今村さんの右が三田くん(タンクトップ)・・下段の右から2番目はレストランサーフィンの親父さん・・その左横が宮下ヤスくん・・真ん中が私(黄のTシャツ)・・私の左が徳田くん・・徳田くんの、すぐ上が森くん(スーくん)・・下段の左から4番目が東谷敏弘くん ・・湘南のマーボーはロペスの下・・その下の女性はマーボーの奥様で真理子さん・・後は思い出せません。  文 安部公司」



この頃を境にして彼は突然海から姿を消してしまいます、何を思ったのかこのように姿形を変え、6年間に渡るドロップアウトサーファーから脱皮しエリートビジネスマンへと変身してしまい、海外へと飛躍して行ってしまったのでありました。



数年前、何を思ったのか数十年ぶりに海へ復帰し、それこそ昔取った杵柄 でアッという間に昔の勘を取り戻し今ではこんなになって海を楽しんでおられます。しかし凄いねぇ、まさにここに歴史ありを目の前で見させて頂きました、ハイ皆さんもこれから海で彼を見かけたらちゃんと見直してあげんといかんですよ。
January 24, 2011

2024 武藤恒志