1976年、日本で最初のサーフィン雑誌「サーフィン・ワールド」を創刊、編集長、メイン・ライターとして活躍を開始し、日本のサーフィンのすぐれたスポークスマンとして内外でその名を広く知られるようになった。77年、エド小川・市川武昌・坂本昇・添田博道・抱井保徳らのバリツアーを計画、実現させ、これが日本のアドベンチャー・サーフィンのさきがけとなった。その後、「スケートボード・ワールド」編集長、「オーシャン・ライフ」編集長を歴任。80年ハイ・パブリケーションを設立し、「サーフィン・クラシック」を創刊する。 ハワイのノースショアをいち早く紹介し、一方では佐藤弘志、近藤公朗・畠山芳久・木本直哉など現在一線で活躍する日本のサーフィン・フォトグラファーを育て、活躍の場を与えるなど、日本に初めてサーフィン・ジャーナリズムを確立した功績は大きい。 日本でのサーフィンの成長にともなうファッション化、あるいはコンテスト・サーフィン偏重の傾向に掉さし、アドベンチャー・サーフィンをテーマに81年よりインドネシアを舞台に本格的な映画プロジェクトをスタート、足かけ3年、2万フィートのフィルムを費やしてこの「アジアンパラダイス」を完成した。ジェリー・ロペスの言う”ベテラン・ワールド・トラベラー、ジャングル・ファイター”ならではの偉業だろう。


SURFING WORLD


June 16, 2009