お別れの日 | メラノーマと二回の脳梗塞…みーのブログ

メラノーマと二回の脳梗塞…みーのブログ

45歳で、すでに三大疾病の二大を罹患したオバちゃんのブログです。
40で脳梗塞、44の冬、脈絡膜悪性黒色種いわゆるメラノーマ発症…転移、52歳で二回目の脳梗塞。なんとか麻痺を少なくしようと試みてるとこです

こんにちは。

私はみーの従姉妹です。

 

みーは

7月29日午前4時・・天国へと旅立ちました。

生前はこのブログを通じて

たくさんのお友だちにパワーを貰い頑張ってました。

 

皆さんありがとうございました。

 

ここで少し

みーの7月の様子をお話しますね。

少し長くなりますがお付き合いくださいませ。

 

私はみーとは「姉妹以上」の

仲良しで家族のだれにも言えない事もお互い話して

悩みも愚痴もすべて・・吐き出しあえる仲でした。

5歳年下のみーはとてもしっかりした子で・・

私が頼る事も多かったです(笑)

 

 

 

6/28・・二人で新しい義眼を作る為に病院を外出

このころは胸骨に転移していた癌の痛みに苦しめられていました。

しかし・・久しぶりに病院を飛び出し二人で出かけられるので

みーはこの日をとても楽しみにしていて

勿論痛み止めを持って・・介護タクシーに乗り

別の病院までレッツゴー~

お昼ごはんは病院の近くで「芝寿司」で弁当を買い

二人で病院の廊下の隅っこで・・食べました。

肋骨が胃を圧迫して多くは食べれないけど弁当の3分の2は食べたので上出来ニコニコ

 

7/5・・みーとは毎日欠かさずLINEで連絡を取り合い・・よく電話もかかってきていたので

私はみーが入院してからは携帯電話は常に持ち歩いてました。

この日も昼過ぎに電話がかかり「家の電話のNTTの契約解約した方が良いかな~」と言う電話があり

みーの状態を包み隠さず接していたので「もうマンションに帰って生活出来ないし解約した方がいいと思うよ」

そんな会話をしていた3時間後に突然の両足の激しい痙攣が起こり激しい痛みに襲われて

鎮静の注射で眠らされることになってしまいました。

 

7/6・・前日の痙攣の報告電話があったので病院へいきました。

私はみーの隣の県に住んでいるので高速道路をかっ飛ばして1時間はかかるのですが

かっ飛ばしていきましたら・・

薬の影響で顔面蒼白で意識は朦朧として呂律は回らないみーがベッドにおりショボーン

ショックでした。その姿に涙が止まらず「しんどいのか?」なんて声をかけながら

それでも昨日の痙攣から何も食べてないと思われるみーに何か口に入れてやって元気が出ないかと・・

氷砂糖を食べると言ったので口に入れてあげると・・パクパクと食べた・・・それだけで・・涙が出ました(嬉しくて)

 

この7/6を境にみーは・・日々・・どんどん・・体調と様子は落ちていきました。

7/10以降は・・LINEも自分でまともに打てなくなり

少し幻覚も見えてきたり強い痛み止めの副作用が口が激しく乾くため

喋るのも口が回らなくなり・・

それでも・・毎日私と電話でその日の様子を話したりしてました。

 

一日に何度も何度も電話が掛かるようになるのです。

病院で一人で過ごすことがしんどくなっていたのです。

 

いろいろな事情があり・・自分の実家へは絶対に帰らない!その一点張りだったみー・・

以前から何度も説得していたけど・・絶対に「うん」とはいわなかったみーだけど・・

7/23に面会言った時

 

私の顔見るなりメソメソ泣き出したので

実家に帰って過ごすよう説得し

私もお泊りして一緒に過ごせる時間も増えるし

今の状態で病院に一人置いておくのは酷だから帰ろう!って・・

 

今回ばかりは素直に「うん」と言ってくれ
 

「うちに帰ろう!(実家へ)そーすれば私も泊まって一緒に過ごせる時間も持てるから」

そー言うと・・みーは

初めて素直に「うん」と・・・・

 

それからすぐに看護婦さんにそれを伝え

みーの退院の準備を急いで貰いました。

 

状態は・・日々・・と言うより・・時間で悪くなる恐れが見えたのでショボーン

7/28の午後2時半・・退院・・・外は酷暑ガーン・・

 

病院からみーの実家は10分

 

介護ベットにみーを寝かせ・・

無事に実家に到着することが出来ました。

 

夕方からずっと私はみーのそばにおり

 

他愛もない話をし・・

みーの兄が何気に歌いだした

私たちが小さいころによく歌って遊んでいた

きらきら星の替え歌なんだけど・・(ちょい下品な替え歌爆  笑

 

兄が歌いだしたから私もつられて歌ったら

みーも一緒に歌いだし・・

歌い終わるとみーは一言

「下品やぁ~」なんて言ったり爆  笑

 

夕飯も私たちが食べたていた「豚丼」をうらやましがったので

食べたいだけ口に入れてやり・・(3口ほど食べました)

 

穏やかな時間を過ごしました。

 

そんな穏やかな時間の中でも・・

身体のしんどさはどんどん増えて行っておりましたが・・

退院時で血中酸素濃度は86だったので

かなりしんどいはずなのに・・・

 

穏やかに過ごせました。

 

体位を変えてやったり・・水をのませてやったり・・

バカな話をして笑わせたり・・・

 

私が望んでいた時間でした。

たぶん・・みーも望んでいたと思います。

 

夜の10時に部屋の灯りを消し・・・私はみーの隣で寝ました。

 

夜中の12時過ぎから・・呼吸はしずらくなってきていましたが・・

 

時々・・みーの言う通り体位を変えたり

レスキューの薬を入れたり・・・

 

そんな事を繰り返して過ごした3時間

最後に体を立たせて欲しいみたいな事を言われたけど

それは・・さすがに無理でびっくり

体をぐーーと横にさせて左右とも・・・

「これでいいか?」って言うと僅かに

「うん・・」

って

 

その5分後・・

本当に静かに静かに・みーの呼吸が止まりました。

 

朝4時でした。

私はみーの看取りをすることが出来ました。

病院で一人でなくて良かったとつくづく思いました。

 

8年半の闘病生活の中

このブログを通うじてたくさんの勇気とパワーを貰い

前向きにガンと向き合い力強く頑張っていた

みーを褒めてやりたいです。

 

皆様ありがとうございました。

どうか

また

みーの事は何かの度に思い出してやってください。

 

私の大事な大事なみーです。