人ってやっぱり

自分で全て選んでるんだなぁって

今更ながら想います。

 

 

感情も

行動も

全部選択してるんです。

 

 

 

 

今日はちょっとした

バクロ話

 

 

アタクシこうみえて

バツイチなんですね。

 

 

23歳で結婚して

25歳で離婚しました。

 

 

その時はね

コンサートツアーの真っ最中で

仕事も忙しかったんです。

 

 

全国回っていたから

嫁さんも家において

1ヶ月とか

出っぱなし。

 

 

その間どうしてるかといえば

遊びたいざかりのアタクシは

 

ほぼ毎晩

先輩とキャバクラ行き放題♪

 

全然、家に連絡もしない状態

 

 

 

そんなふうに遊び呆けてたら

嫁さん、仕事仲間と仲良くなっちゃったみたいで…

 

 

まぁ、ね

しゃあないですよね。

 

 

で、カクカクシカジカあって

別れたわけですが

 

 

 

別れたあとが

大変でした。

 

 

 

まだツアーが続いていたので

やらなきゃいけないことはあるんです。

 

 

だから

仕事してる最中は

忘れてるんですけど

 

ちょっと休憩とかになると

すぐに孤独を感じて

寂しくなっちゃう。

 

 

寂しいのを見られたくないから

余計一人になれるところに移動して

 

寂しさを味わっちゃう。

 

 

ボーッとしながら

頭を壁に

ゴンゴンぶつけたり

 

心に空いた

おっきな穴を感じて

おっきなため息を付いてみたり

 

休憩中なのに

身体は休んでも

心は休めていませんでした。

 

 

 

そんな状態のまま

ツアーも最後まで

付き合わせていただき

 

ある時

”仲間がくれた一言”で

立ち直ることが出来ました。

 

とはいえ今思えば

相当へこんでたんですね。

 

 

 

 

でね

振り返って思うんです。

 

 

「感情は選べる」

って。

 

 

 

どういうことかって言うと

 

その凹んでた時

 

「寂しさ」「孤独」「無気力」

あえて味わおうとしてたって

今思うんです。

 

 

もちろん

その時は、そんなことわかりませんでしたよ。

 

えぇえぇ

自分でも

どうしようもないくらい

無力感や孤独感に

苛まれてましたから。

 

 

でもね

感情に飲み込まれている時は

わからなかった自分の意識を

 

今なら思い出せるんです。

 

 

「あ〜あの時わざわざ、

”どうしたら、もっと自分を痛めつけられるだろうか”」

って感じてたんだなぁ

って

 

 

もちろん意識的に考えてたわけじゃなくて

無意識にそう考えちゃってたわけで

 

今、苦しかったり

凹んだりしている人が

全員、わざとそうしてるって

いいたいわけじゃないんですよ。

 

 

でも

ちょっと考えてみると

 

ホントに24時間ずっと

すべての瞬間で

苦しかったり

鬱々としていたり

するわけじゃないんじゃないですか?

 

 

それを忘れている瞬間も

あるんじゃないですか?

 

 

だとしたら

意識的に

それを手放すことも出来るんです。

 

 

ただそれが

自分だけだと

 

忘れてしまったり

視点が変わらなかったり

客観的に捉えられなかったりするから

 

上手く選択できないだけ。

 

 

 

よく言うじゃないですか。

 

空を見上げてニッコリしながら

鬱になることは出来ない。

って

 

 

身体の使い方からだって

気持ちや意識は変えられるんです。

 

 

だから

その「身体の使い方」や

「意識の向け方」を

まずは意識的に変えてあげる。

 

 

ずっとそうしていられないとしても

ちょっとちょっとから始めてみる。

 

 

そうすると

少しずつ自分に変化が

起きてくるんです。

 

 

 

アタシに起きたきっかけは

 

「どうするかは鵜飼が決めることだけど

 俺はお前が居ないと寂しいけどな」

 

と仲間がいってくれた一言でした。

 

 

もし今、つらい思いをしているなら

今度はアタシが

アナタの仲間になりたい。

 

 

独りじゃないって感じるだけでも

心の隙間に光は射すから。

 

 

そしてアナタ自身も

光なんだって伝えてあげたいから。

 

 

アナタが

今、どんな状態だったとしても

必ず立ち上がって歩き出せる時は来るから。

 

 

アタシたちには

「可能性しかない」んだから!