トルコ国会(定数550)は9日、女子学生が大学で、イスラム教徒の女性がかぶるスカーフを着用できるようにする憲法修正案について2度目の採決を行い、賛成多数で可決した。

政教分離の世俗主義が国是。1980年代以降、公的施設でのスカーフ着用が禁止されてきた。


まぁ、トルコの99パーセントはイスラム教徒だというけど、信じられんな。びっくり。

前に日本で出くわしたトルコ人の粋なおっさんは、俺はコーラン読めるんだぜ!って我が夫にすごい自慢してかみついていた。夫は笑顔だったが、絶対心では裏腹に「それが一体どうしたんだ!」と思っていたはずだ。

しかも、その後このおっさんは30分ほどオスマントルコの偉大さに酔っていた。


うーん。この法が根付いたところで、どれだけの人がかぶるかね?


そうそう、シリアも同じように、実質上フランスの統治下であった頃から(撤退後もしばらく)、スカーフの禁止や宗教的な集まりの廃止など、いろいろあったそうで、夫のババの趣味で撮ってた写真をみせてもらうと、その当時のシリア人の顔つきや服装は、戦後復興時の日本のようでありました。なんというか、表情がしゃんとしてなくって、とにかくミニスカートって感じ。(なんというか、浮いてるって感じ。しない?)

そんな状況下でも夫のママやババは宗教をすごく守ってきた人で、それ故大変なことも多かったという。

本当に今から40年遡ったシリアは、ミニスカートで闊歩する女性が多かったんだから。

夫が小学生のときの担任は、いつも超ミニで、授業よりも隣の組の男性教師との恋愛事情で頭がいっぱいだったそうだ。


その当時の若者が産んだ次世代で宗教と取り戻す動きがみられたそうで、だから今、親(というかおばさん)は、好きな服きてるけど、子の方はスカーフ被って肌をみせないようにしてたりする親子ってのもけっこう見る。反対のタイプも勿論いるけどね。

政策が一般人の生活や嗜好をもコントロールすることってありえるわけね。長期にわたるとね。


私としては、なんでそんなに公共の場で世俗主義に尽くさねばならんのかな?って不思議なんだけど。

嗜好や考え方はその人それぞれ(世俗的ってこういう意味じゃないの?)。特別意識するのは差別なんじゃないの?

ピンクに染めた髪でも、モヒカンでもスカーフ被ってても、私は何も感じないけどね。その人には生き方があるじゃない。

モヒカンでもアフロでも堂々と店頭で商品の取り扱いとか説明してたらいいよ。

でも社のイメージがっていうんでしょ。先入観ってほんっとやだね。


スカーフ被ってるから知る由もないことだけど、ここのシリア女は、もう藤井フミヤも後ずさりするほどメッシュを入れまくって、金髪、ピンク髪、レッド、オレンジ、もうなんでもありに染めてるわけ、その人らが、外では支障にきたると感じて、なんか被ってるわけだから。

その人それぞれの気持ちを考えれる社会になってほしいなぁと思うことがある。


そんなことは、ちょっとおいといて、今日グサっと来たニュースは「おかあさんといっしょ」のうたのおにいさん、おねえさんが交代することだ。今井ゆうぞう、はいだしょうこペアが私は好きだったからだ。

長男が産まれて日本に居た頃、私は子供とマニアックによく観ていた。

もうシリアにきて3年。。。時間って惨いわ。


オークションで彼らの出てるDVD探します。くすん。