おはようございます。最近色々状況変化が大変なわたくしでございます。
さてさてブログ記事をサボることが多いので日課にせずに、サボる系ブログでアップするのは気分としてゆるりとやっていきます。
今朝かなりディープな話をしました。
早朝の4時から、、、、。
そのディープな内容ってのがレイプについてです。
レイプって加害者側に心の傷って残らないんですけど、被害者側の心の傷って癒ないんですよね。
その心の傷が癒えないのは何故かっていうところの一論としてのお話なんでちょっとこれは一説として読んでもらえたらいいなと思います。
被害者って言うのは『社会性』を取るしか術がありません。
本当はレイプされた側の被害者には沢山の感情的な思いがあります。
例えば、殺したい、一生地獄のどん底のような人生にしてやりたい、同じ痛みを味わえ、とかね。
自分もレイプされた経験があるのでこの気持ちが芽生えるのって正直すごく分かるんです。
もう約10年経ちますが未だに傷は消えません。
加害者がのうのうと生きてるって考えるだけで虫酸が走って気持ちが悪いです。
例えばアメリカであれば銃を持つことは合法です。
だから、自分の身を守る為に殺しましたが合法になります。
日本には銃刀法違反という法で罰せられます。
日本に居る以上、社会性を取るしかやっていけないのです。
ただ被害者側は傷を背負って生きていくしかありません。
こんな理不尽な事があっても加害者を殺してしまうと、加害者以上に自分が制裁を喰らいます。
社会性を取るしかできなかった被害者は最悪命を自ら絶ってしまいます。
この悔しい感情をどこにぶつければいいか、そんなぶつける場所も無いのです。
性犯罪は被害者の恋愛にも支障がでます。
正直人生狂わせます。
狂った歯車は自らの手でしか治すことが出来なくて。
今表現の自由がピックアップされてメディアでよく話題になるようになりました。
今表現の自由や表現の在り方が多用しやすくなってきたからこそこのような現実的な問題も何か『形』として社会に訴えかけなければいけないんじゃないかと思います。
少しでも多くの被害者の痛みをもっと知ってもらわないと、もっと痛みとして知ってもらわないといけない時代なのかなと思います。
自分は絵ができるわけじゃありません。
歌で伝えることもまぁ無理です。
だから文章として形に残る表現として今だからこそ自分に何ができるかとても考えさせられています。
避けられてる性問題。
何故避ける必要があるのか、性問題って本当は今きちんと向き合っていかないといけないんじゃないかと思いました。
とりあえず今日思ったことなので、どう形にして行くか考えようと思いました。