静山社
J.C.ローリング作
松岡佑子訳
ハリー・ポッターシリーズ
言わずと知れた映画ハリー・ポッターシリーズの原作にしてその第一作目。
実は割りと最近夢が叶い、ハリー・ポッターの原作シリーズのハードカバーを全冊揃えることができた。
日本での初版は1999年十二月。児童書として出版された。
作者J.K.ローリングはこの本が処女作だと言うので驚き。
以下、ネタバレあり
とはいえ、多くの人が内容に関しては大筋を知っていると思うので、好きなシーンをかいつまんでお話ししたい。
原作の始まりは、ダーズリー夫妻の話から始まる。しばらくバーノンがメインのシーンが続き、バーノンが緑のローブをきた老人とぶつかったり、「ハリー」という男の子の噂が飛び交う一日を過ごしたあとに、映画の始まりのシーンになる。
ハリーが11歳になって、初めてホグワーツへ行くとき、電車の中でハリーは、同じコンパートメントに乗ったロンに、「僕きっとクラスでビリだ」と、言うシーンがある。今まで育ってきた境遇もあるが、このシーンだけでも、ハリーの謙虚さと言うか、自己肯定感があまりないことをうかがえる。
晩餐では、アルバスがいわゆる「校長先生のお話」くらいのノリで「二言三言」話をするシーンがある。それが、「わっしょい!こらしょい!どっこらしょい!」 だったりしてつい笑ってしまう。本当に二言三言。僕が通っていた高校で、校長先生は「短い時間お付き合いください」といいながら30分近くしゃべっていたことがあるけど、それとは偉い違いだ。
なによりこの、「ハリー・ポッターと賢者の石」では、ハーマイオニーが「マグル生まれ・マグル育ち」であることを感じるシーンがある。両親の話題になると「私の両親は歯医者だもの」となにやら嬉しそうにする。
映画では、魔法使いのチェスに対して「なにこれ!野蛮じゃない?!」とコメントした辺りがマグルっぽさを感じさせる数少ないシーンだ。映画にもあった黒い植物、「悪魔の罠」のシーンで、自分は易々とその罠を抜け出し、ハリーが抜け出すにも知恵を貸した上、太陽の光を呼び出してロンを救い出しているが、原作では、スプラウト先生の言葉を思い出しながら話をするも、火をつければ良いという決断に対して、「でも薪がないわ!」と言い放っている。ロンが「気が変になったのか!君はそれでも魔女か!」と怒鳴るまで、やきもきしながら考え込んでいた。このシーンは本を読みながら毎回笑ってしまう。
ハーマイオニーはこのあと、セブルスが部屋にしかけた魔法薬の試練で、難解な論理を読み解き、見事、ハリーを賢者の石のある、そして、クィレルの待つ部屋へと導いている。
このシーンの論理は、僕は未だにちゃんとは解いていないので、そのうちやろうかなとはおもっている。
原作を通してとにかく好きなのは、映画よりずっとハリーが「少年」らしくて、子供らしいところだ。かわいいわがままがあったり、ちょっと無鉄砲だったり。心情変化がありありと思い浮かぶこともある。
是非、原作も読んでみてほしい。