つ……遂にLv38になりました、つなです。
こんにちは。
お誕生日おめでとう
まずね、私。
お誕生日おめでとう。
お誕生日なのに今日のショートは伸び悩み
是非再生して、いいね押して、そしておめでとうとコメントしてください!笑
私の事
私の出生予定日は9月3日でした。
祖母の誕生日の2日前。
けれど正期産と言われるタイミングに母体がなった時、抑制剤をストップされたそうです。
医療者ではない母の言葉なので、とても曖昧なところを繋ぎ合わせ産まれてくるまでの事を確認しました。
私は切迫早産リスク児です。
6月から母を病院のベッドに縛り付けた問題児です。
そして8月に入り「まぁ産んでも大丈夫」ってなりました。
一応正期産の週ひなった時に「お盆の前に出そう」と抑制剤を切り、一次退院をしたそうです。
1泊しか帰れなかったと言われましたが😐
「本当、大変だった。」
「腕に点滴できる場所無くなって、足にするかって言われたから嫌だって指先まで点滴してた」
「ずっとベッドから動けないんだもん」
「まる2日だよ?!分娩台乗っても出てこなくて、降りて部屋戻ってを繰り返した。」
今考えると母体に危険及ぶから、促進剤打つわ!
と思いますけどね。
知らんがな。
この言葉を何度も何十回も繰り返し聞かされ続けました。
「無事に産まれてよかった」
と聞いたことは、記憶の中では私が無理やり言わせた1度しかありません。
「でも!でも産んだじゃん!無事に生まれて来たじゃん」
と必死。
確か小学2年生の自分の子供時代を振り返るとかいう生活科の授業で聞いたこと。
「知的障害になるかもって言われてたから、どうしようかと思ったんだよね。まぁ指はちゃんと5本ずつあるし、とりあえずは安心したけど」
「知的障害になるかもって言われてたからたから、馬鹿なのは仕方がないよね」
「ずっと骨盤にはまってて、頭伸びてたから本当可愛くなくて。布袋様みたいだったんだよね」
我が子にかける言葉なのか?!
「可愛くない」
この母親の言葉がずっと心のしこりです。
なので今言われる
「お姉ちゃんは美人だけど性格ブスだねー。妹は可愛くは無いんだけど性格可愛いんだよねー」
は成れの果てでは無いでしょうか。
ちなみに「可愛くない」と言われる今の妹は
「ハイハイどうせブスですよー。仕方ないじゃん、ブスが産んだんだから!」
とやっぱりな反応です
幸か不幸か、わたしは父方の遺伝子が強く。
成長につれて間延びした頭も普通になりましたので……
まぁ可愛かったんじゃん?とは思います笑
子供時代は近所では「美人さん」と言われていました。
「お父さんに似て綺麗な顔してるから、背も伸びるだろうし、宝塚とか入れるかもね!」と保育園時代に言われてた。
(その時、宝塚は知らなかった。)
あ、父親。
昔の写真を見ると我が子ながらにイケメンだったじゃんとは思います。
今は春日さんみたいな感じですが……
(言うて親が離婚する時の10年弱前の記憶)
よーく見ると綺麗な顔立ちだと思うんですよね。
身長も父方は高くて、明治生まれの曾祖母がなんと165cm!
だから私と同じ年齢の末の孫は170cmのすらっとした美人さんなんですよ!
羨ましい。
父は……
175cmだから昭和前半生まれでそれはやっぱり高い方では?
なぜ私が伸びなかったのか?
それは分からないねぇ。
母方はちび一族だから、その血かな。
吹奏楽で成長期に腹筋つけたこともあるかもしれない。
あとは性虐待があったから本当、ホルモンバランスがおかしかったんだと。
☆。.:*・゜
ちょっと子供時代の写真探したけど、スマホの中にはなかったや!
妹はね、可愛い可愛いで育ってたの。
新生児仮死だったのと、小さく生まれた(言うてもギリ保育器には入らなくていい大きさ)から母親は妹を可愛い可愛いって。
確かに可愛かったです。
正し3歳まで。
小さく生まれた子特有なのか、親が頑張って食べさせるから太るやつ。
例に漏れずで……
七五三の写真は妹は小梅太夫にしか見えませんでした。
幼い私は、可愛がってくれない母親の所じゃなくて。
母の実家に長期ステイしてたのは、幼いながらに可愛がってくれる場所を知っていたのかもしれないですね。
叔母と一回り違い。末の小さな小さな妹。
祖母にとっては大好きな長女が産んだ、初めての孫。
☆。.:*・゜
わたしは夏生まれということもあり、キッチンに立つのもしんどい時期。
だから有無言わさずに
「手巻き寿司がいいよね?」と毎年それ。
でもね。
私、いくらも生魚も食べれないから、手巻き寿司ラッキー!ってなるのは妹だけ。
私はひたすらきゅうりとツナを巻いて食べるしか無かったのです。
ケーキは「夏だから悪くなるから」とピースケーキ。
ロウソクを消すなんて、記憶の限りしたことはありません。
誕生日プレゼントも貰った記憶は無い。
私だって、手巻き寿司じゃなくて唐揚げとかエビフライが食べたかった。
私だって、まぁるいケーキでロウソクをフーってしたかった。
夏休みの誕生日は、友人たちからも忘れられています。
今みたいにケータイやスマホのない時代。
わざわざ電話かけてくる人もいないし、この時期はお盆の里帰りで不在だったりもします。
だからお友達を呼んだお誕生日パーティーもないの。
わたしは、それをやってみたかったな。
だからね。
(急にまとめるな)
わたしは自分の誕生日の度に
「どうして生まれてきたのかな」って思うし
寂しくて、悲しくなるんだ。
1番嬉しかったのは、小学4年生の時に当日に届くように叔母がバースデーカードを送ってきてくれたこと。
忘れられていないんだって、とてもくすぐったくて、けれど嬉しかった。
バースデークライシス
お誕生日って精神的に鬱になりやすかったりもする。
人もいる。
それをバースデークライシスとか誕生日クライシスというみたいです。
「まだ何もしてないのにこの歳になってしまった」という不安「忘れられていたらどうしよう」という不安
色々な不安が襲ってくるんだって。
わたしは「まだ結婚してないな」「子供欲しいのにな」って先の不安よりも、毎年毎年過去の悔しさが押し寄せてきます。
ツインと出会って、自分と向き合うようになってから特に。
それまでは自分の誕生日は知らないフリしてた。
お祝いなんてして貰えないし、諦めてた。
だから1人でたくさん、食べたいものを作ってテーブルいっぱいに並べて。
1人でお誕生日おめでとうって食べながら宝塚のDVD見て過ごしてた。
大枠は今も変わらないと思うけれどね笑
でも日付が変わった瞬間に今年もどうしても死にたい気持ちになってしまった。
悲しくて仕方がなかった。
涙と鼻水垂れ流しながら必死に、何度も自分に「お誕生日おめでとう」って言い聞かせて疲れて眠りについた。
そんな誕生日のスタートでした。
アラフォーの今は流石にホールケーキがとか、唐揚げ、エビフライは言わないけれど。
そもそも胃に入らないし。
けれど心の中の子供の自分が今も騒ぐんだ。
「まぁるいケーキで、ふーってやりたかったな」
って。