こんちには、つなです!

今日も暑いですね。


私から見た私


いつかもこんな記事を書いたなーと思いつつ、書いてみます。



私から見た私。

これは幼少時に他人から植え付けられた「間違った価値」をそのままに引き摺っているにすぎません。


私の周りにいた大人は、直ぐに誰かと比較をして「落とす」ことをしていました。


祖母に言われた

「○○ちゃんは頭いいのに(つなちゃんはお勉強できないの)ね」


○○ちゃんのお母さんに言われた

「○○ちゃんは成績が常にとっぷだから(あなたと違ってお勉強に忙しいの)」


母に言われた

「▽▽ちゃんはバイエルもう終わったんだって。まだ終わらないなんて、音大に行けないね」

「妹ちゃんは歌が上手いから音大行けるけど、つなちゃんは何も出来ないから就職だとありがたい」

「つなちゃんの字は汚すぎて読めない」


父親に言われた

「デブ」


安全装置である母に1番否定され続けたなと思います。

本人その自覚ありませんが!


なので私は今でも


「馬鹿で、取り柄がなくて、音痴で、字も汚くて読めない、どうしようも無いデブ」


そう思っています。


だからなのか学生時代は

「馬鹿な私」は会話のキャッチボールが苦手でした。

思考停止してしまうから。


そして「馬鹿な私」は少しでも母に認めてもらいたくて…

なんと…


高校で生徒会長してたんです!


そして「何も出来ないつなちゃんは就職を」

の言葉通り…商業高校へ行きました。


高校へ行って、少し目が覚める。

「就職なくね?」

父親の虐待もあり、家から早く出たかった私。

1人で生活できない収入は死活問題です!

なので親にプレゼンして進学勝ち取りました。


看護学校へ。


その子供時代に反復された他人の価値って抜けないんですよね。



高校進学以降の、周囲から見た私

商業高校に進学した私。

親戚のおじちゃんとかに高校を伝えます。


「おまえ、いい高校行ったな!凄いやつだ!」


初めてここで褒められました。

私を全否定しない曾祖母はこの時点ではもう認知症は酷く進み…

私を認識出来なくなっていました。


なので…

私が進学した高校を褒められたのはとても嬉しかったです。


何故って?


○○ちゃんのお母さんがまた出てくるのですが…

「○○ちゃんは一番の進学校なの!」

と自慢され続けました。


その時はまだね、自分と他人の境界を引ききれなかった私。


言葉の語尾に「だけどあなたは」の否定文が着くことを想像しては傷付いていました。

実際、そういうの付けたいから言ってたのだと思いますが…

それは考えなければいい話って気づいたのは大人になってから。


そしてね…

私の高校の制服は高かったんです。

森英恵さんデザインで、制服だけで10万。

だから母親には

「つなちゃんの高校は学費も高いし制服も高い」

「電車の定期も馬鹿にならない!」

とここでも言われていたんです。


当時は高校は無償化されていない時代。

普通校に比べ、商業高校は特別科目がある分学費が高め設定でした。

いうて5千円くらい。



だからおじちゃんに言われた時は本当に嬉しかったんです。


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そういえばこのおじちゃん一家は私を否定することはしない人でした。

おじちゃんの末娘のお姉ちゃんは、私を妹みたいに接してくれたし。


田舎あるあるだけれどおじちゃん夫婦は孫みたいに接してくれてた。

○○ちゃんはその地域には最初から居ないおうちだったので「親戚ではない」存在。

だから「○○ちゃんよりつなちゃん」でした。


そのおじちゃん。

血の繋がりは物凄いうっすいんです。

曾祖母の義兄の孫ですから。


でも近所に住んでる笑


つな家複雑なの。

曾祖母の義兄…

つまりは曾祖父の兄なんだけど。

私は曾祖父には会ったことがないので、知らない人。

だから曾祖母の義兄って表現使うね。


その曾祖母の義兄の子供であるばーちゃんは、曾祖母に育てられました。

曾祖母の家の裏の家に住んでいたので「うらのばーちゃん」って呼んでました。


うらのばーちゃんの息子さんがおじちゃん。


遠い親戚過ぎてもはや他人レベル🤣


まぁいいや。


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それがね。

妹が高校に進学した時に母親の評価が一変したんです。


なぜって?

妹が高校に落ちて、私立に行ったから。


地方、私立は滑り止めって考え方。

あくまでも公立が良いとされる場所でした。


だからね、私の学費の倍以上の学費が妹にかかり

駅から遠い学校だったので…

電車➕バスの交通費がかかる。


バスの定期代は…妹、自腹させられていました。

バイト代でね。


そして看護学生になった私。

進学をプレゼンで勝ち取っていたので…

学費は安いところです。

進学しても妹の学費より安い。


反面妹は私立の薬学部なので1年間の学費で私が3回看護学校卒業出来る金額でした。



まぁ、妹に遠くの公立より近くの私立を選択させたのは親なんですけどね。

理由?実習あるのに生活費のためのバイト代稼ぎはしんどい。

奨学金も学費に当てないと間に合わないから、バイトで生活費賄うなんてできない!

からでした。


私が仕送り0円なのでそこは妹も平等に。


そして妹の学費のために私名義でも教育ローンかりてるのでね。


だから専門学校の頃は私は親から見たら「安あがり」になっていました。



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そしてね。

進学した看護学校が運良く?大学病院付属だったんです。

田舎って「○○大学付属」とかってのに弱い…らしい。

そして就職は大学病院なんです。


え?

幼なじみの○○ちゃん?

確か旧帝大卒ですが就職できなくて、院進学試みるも…

親が自己破産していたので奨学金かりることができず。

派遣してるって風の噂で聞きました。


なのでね、大人になった頃には私は風の人になってました。

「つなちゃん、大学病院で働く看護師さん。凄い人」って


地方怖い。




私からみた私、俯瞰



さて、話がものすごく逸れたので最初に戻します。


「馬鹿で、取り柄が無くて、音痴で、字が汚い、どうしよいもないデブ」


な私を俯瞰して見ると、実際どうであるのか。

私が私を俯瞰してみた状態ね?!


馬鹿で⇒

国家資格持っている時点で救いようのない馬鹿ではないはず。

大学で20年弱働いてる時点でそれなりに知識もあるはず。

なにより雑学大好き成人読書量鑑みると…

ヅカファン故に歴史ちょっと詳しい。

(ただしヅカファン基準では普通レベル)


取り柄が無くて⇒

絵が描ける、裁縫出来る、プロとはいかなくても…

それだけでも立派な取り柄じゃない?!


音痴で⇒

声の音域が狭いだけで、音程は取れるレベルの音痴


字が汚い⇒

むしろ綺麗な方。


どうしようもないデブ⇒

BMI22です。



自分の思い込みって。

子供の時の植え付けって。

当てにならないよね。


でも口癖って凄い。

「私なんも出来ないから!馬鹿だし!」

が先にでる。



今、みんなに言われること


働いていると色々な人がいますよね。

仕事出来るひと

仕事は遅いけれどコミュ力長けてる人

何故そこにいるか分からない絶望的な人


私は自分の評価は

「絶望的な人」なんですよ。うん。

その「絶望的」加減を隠すために色々と誤魔化すのに必死。

資格試験受けたりね。


けれどどうやら他者評価は違うらしい。


「つなさんは、ポテンシャルおばけ」

だそうです。

元救命の後輩が言っていたと、先輩に言われました。


看護師の中で「救命」とか「元救命」って少しだけ憧れ要素あります。


ありません?

医者並みの知識量の人が多いんですよ、大学救命って。


その元救命が私をポテンシャルおばけとは何ぞよ?!



「知識量半端ない言うてたよー」


と付け加えられ、ピンと来ない。


「なんでも知ってるし、雑学半端ないし、色々資格もってるし、仕事出来るし」


はぁ。


「絵が描けるし、裁縫出来るし、料理上手いし、片付けできるし」


…ん?



なんだかどんどん関係の無い方へ来たぞ。



そして私はこう返した。

「絵も裁縫も標準装備です」



それがそうじゃないから凄いらしい。



との事でした。



人から見た「私」、自分からみた「私」


つまりね。

長々と書いたけどね。


私を例にしたけどね。


自分が思っているよりも他人の評価って高いってこと。

そして他人って想像力豊かに「誰か」を語るなーってこと。


そこには本人からみたら「フィクション」も含まれるんだよね。


けれど。

他人がマイナス評価を自分にしていなければ傷つかなくていいし。

マイナス評価してても傷つかなくていいし。


高評価してても傲る必要も無いし、おごっちゃいけない。


自分は自分のままでいいんだよね。



だから…


「馬鹿で、取り柄が無くて、音痴で、字が汚い、どうしよいもないデブ」


と自己評価する今の私は

そうならない為に…

常に知識をつける努力するし、字は綺麗に書こうと頃がける。

体重や見た目の変化があったら、食事や運動して「標準」であることを維持しようとする。

そうして

自分を俯瞰した時に

「そうじゃない」と確かめるバロメーターにもなってる。



子供の時に植え付けられた価値観は

今を生きるために私にとって必要な🗝になっているのかもね!


そう思う出来事でした。