疲れ果てた、成れの果て


こんばんは。

今日は発熱のためおやすみです。


昨日、39度の熱を出しました。

本日は夜勤でしたが、流石に病院出入りするので出勤できません。


結論から言うと、感染症ではありませんでした。



昨日、午後からの出勤でしたがとても気持ちが悪かったんです。

ブランチしてからの出勤。

お茶の葉の炊き込みご飯を食べたので、それが影響かなと思いました。

吐き気に嗚咽しながらの出勤。


途中からは頭痛もしてきた。


あぁ、低気圧だね。


そう思いながらも左胸も痛くなる。


え?!MI?!(心筋梗塞)


間欠的に痛む胸部。

痛いから無意識に力が入る。

そうすることで余計に方が凝る。



挙句帰りは雨で寒い。

傘は持っていましたが…結構大ぶりでした。



寒い寒い。


急いでお風呂を沸かしても41度のお湯がとても冷たく感じました。


だんだんと力が入らなくなり、これはまずい。

ここで死ぬ。


そう思い頑張ってお湯から出ましたが、力が入らず立ち上がれないのです。

出れない。

あぁ、死ぬかも。

必死にお風呂出た時には真っ青な顔してました。


湯船に浸かっただけ。

どこも洗うことも出来ずに、服を着込んでお布団へ。


寒い。頭痛い。だるい。



そうだ、熱計らなきゃ。






あはーん(๑¯∀¯๑)


コロナか?

最近、インフル患者はいなかった。

コロナの重症を受け持ってたしなぁ…。


でも症状の出方がコロナとは違うな。

と思いながら職場へ連絡し、大きなぬいぐるみに跨る形でうつ伏せで寝ました。



うつ伏せする時、腰を痛めるので何か抱えるものがあるといいですよ!


なぜうつ伏せって?


一応コロナだった時に肺炎にならないように、背面へ酸素が行くように予防しました。


アップルウォッチで酸素監視はしてて94%とかを見たので予防です。


今朝方解熱し、病院でも感染は否定されました。

咽頭炎があるねと抗生剤は処方されましたけどね。


コロナだったらゾコーバ出されるので

(前回出されました。)

検査代含めて2万円くらい握っていかないと足りない…と思い必死でしたが、コロナじゃなくて良かったです。


コロナ、2類の時は全額国が負担してました。

今は自己負担ありです。


そして10月より薬代の負担が上がったため、3割負担の私はコロナのお薬が約1万円かかります。

私がコロナだと労災なのに、それは降りないんですよね…。

手当もなくコロナを見続けてるのに、人権を無視されてます。



あ、病院で人権無視流行ってます。


感染管理部に「HIVの採血を看護師がしないのは決まりでは無い。そんなの人権の侵害だ」と言われたからです。


病棟や診療科事に決まりが緩く、医師がとる部署と看護師がとる部署とまばらだからです。

それこそ感染管理部がちゃんと決めるべきことなのに、決まってないのはおかしいです。

そして、5類なのに個室に隔離するのも、未だにコロナ病棟作って特定の看護師にだけみせているのも人権侵害だと病棟スタッフが怒っているので、バズってるわけなのです。


働か無い頭で何をするか


解熱はしていても頭は痛いです。

体もだるい。

とりわけ筋緊張凄かったのか胸郭、背部が痛いのです。


本を読むにも集中は出来ない。

困りました。



そういう時にYouTubeで小難しいことも頭に入らない。


私がよく見るのは都市伝説、怪談……


島田さんのお階段巡り、真実を語る黒子さん、下駄華緒さんのチャネルをよくみます…。

あとはTO LAND VLOG さん、ミルクティ飲みたいさん。


考察系も大好き。

岡田斗司夫さんや大河ドラマ解説のミスター武士道さんの戦国BANASHIもみる。


つまり頭空っぽにぼーってみるのではなく、頭フル回転で見るのが好き。

だからさ、疲れるんですよね。



ということで、何も見れないなーと。

じゃあ、アマプラだぁ。


とアマプラ立ち上げる。


これは私の癖なのですが、映画でも頭使うんです。

みんなに「深く考えてみるでない」と言われますが、考えてしまう。

だから洋画は苦手です。

宗教観や時代背景、その国の独特な道徳観などが分からないから。


文化的背景の理解に苦しまない邦画が好きです。

まず日本語だしね!



と、言うことで選んだのは…


「スタンド・バイ・ミー ドラえもん」



おばあちゃんに会いたい!


スタンド・バイ・ミーって、放映当時「大人泣き」で話題になってましたよね。

私も映画館で泣いてきました。


そして今日は暇なので1.2通して見ましたよー。


言うてもう21時。

寝なきゃだけど…

眠くない。



スタンド・バイ・ミードラえもん2 が特に好きです。

私、おばあちゃんって存在が好きみたいです。

自分のおばあちゃんではなく、のび太くんのおばあちゃんみたいな、典型的なおばあちゃんが好きなんです。


日本昔ばなしに出てくるようなおばあちゃんだったりね。


なので、自分のおばあちゃんじゃないのに、おばあちゃんに、会いたいと泣きました。


大人ののび太君が子供の時代に戻って子供の時間を楽しんでるの。

羨ましいなって思いす。


大人って、考えなければいけないことも不安もたくさんありすぎる。

それが自分が子供の時よりも、より色濃くなっている気がします。


昔ってそんなにお金無くても幸せだったのになって。


食べるものは畑からとってくればいくらでもあって。

個々で何かをするんじゃなくて、居間で家族みんなでテレビを見たりする。

そんな時間が、とても贅沢だったりする。


今は、現代は。

忙しすぎる。

子供も、忙しいね。



おばあちゃんに会いたい。

頭痛いのに号泣して、さらに頭が痛いですが、少しスッキリしました。


私の指す「おばあちゃん」は自分の祖母ではなく、曾祖母や、近所にいた親戚のおばあちゃんなのだと思います。


もちろん「祖母」はいます。

88歳です。

元気です。


けれど、子供の時の祖母はおばあちゃんってイメージから逸脱していました。


濃い化粧にオーデコロン。

物言いがきつく、怖かった。

仕方がない。

女手一つで6人育てましたから。

(祖父が40歳で他界したそうです。その時長男は19歳くらい。末っ子は5歳です。)


父方の祖母はもっと酷い。

濃い化粧、派手な服装

派手な金遣い。

平気で嘘をつき、男に媚びを売るような人。

母にも曾祖母にも平気で嘘をつき、いつも自分は弱い人間とでも言うように助けを求めながら見下されました。

内孫の私はダメな子とされ、外孫を可愛がり。

私は近所の幼なじみと比べられ貶される。


だから祖母に対するイメージは良くはなく、のび太くんのおばあちゃんへ憧れがあったのかもしれません。

設定年齢がいくつかは知りませんが…

まぁ還暦前の人間だから今考えれば無理もないですよね。


代わりに…

曾祖母や親戚のおばあちゃん達がのび太くんのおばあちゃん的存在でした。

曾祖母は外孫(言っても、末娘の子供で私と同学年)より、一緒に住む曾孫の私をいつだって可愛がってくれました。

教員家庭の外孫はお勉強の成績優秀。ピアノも得意。

私は全部平均点で、手が小さくピアノも思うように進んでいかない。

それでもいつも褒めてくれました。


「つなちゃんは絵が上手いから。」

「つなちゃんの弾くピアノが好きだよ」

「つなちゃんはお勉強が苦手でも、頑張ってるのは知ってるからね」

って、いつも学校から帰ってくるのを待っててくれた。


認知症が始まった頃、そんな曾祖母が疎ましくて…

居留守を使ったことも何度かあって。

今はとても後悔をしています。

けれどその時は怖かったんだ。

知ってるばぁちゃんじゃなくなっちゃったから。



でも本当は家で待っててくれるの嬉しかった。

小学校にはいる時に近くに家を建てて引っ越して。

ばぁちゃんいない日は愛犬連れて、ほんの200m程度先のばぁちゃんちに行ってた。


でもね。

寂しくないようにって飼ってもらって柴犬が、直ぐに死んじゃって。

これも私が悪いんだ。

雨の日でお散歩遠くまで行けなくて。

おうちの近くを行ったときに田んぼのお水飲んでたんだ。

田んぼに農薬散布れてるなんて6歳の子供は知らなくて、学校から帰ってきたら泡を吐いてた。

それがトラウマで、家に帰るのも怖かった。


それからはしばらく、ばぁちゃんが家にいてくれた。

母親が仕事から帰ってくるのが16時45分

小学生にとってはとても長い時間だった。

雷がなった日は怖くてね。


バス通するくらい田舎で

バス停からも1.kmくらい歩かなきゃ行けなかった。

時々調子のいい時は、ばぁちゃんが途中まで迎えに来てくれてた。


時々…

高校生だった親戚のお姉ちゃんと帰りのバスが一緒になった時は、手を繋いで帰ったけれど…

前の方にそれを見てUターンしてく、ばぁちゃんの背中も見てたのは知ってるんだ。

あぁ…ばぁちゃんに会いたいな。


ひぃばあちゃんが居なくなってから


ひぃばあちゃんは中3の時に誤嚥性肺炎で入院した。

その後、1度も家に帰ってくることは無かった。

介護が必要になったから。

介護保険ができ始めた頃で、なにかの流れで母親はヘルパーの資格を取ったけれど。

結局入院したまま最後を迎えた。


亡くなったのは高3の時。

どんどん認知症が進んで行く、ばあちゃんが怖かった。

行っても「○○か?(末娘の名前)」って私を呼んでくれなくなった。

仕方ないよね。

私と末娘のおばちゃん、そっくりらしいから。

そのうちに「お前誰だ」になって、そしてお話が出来なくなった。


触るのが怖くなった。



高校3年生の10月14日、中間テストの2日目の夜。

「今からばぁちゃん帰ってくるから」と言われた。

「夜遅いから、寝て待ってて」と言われたけれど、私と妹は夜道を歩いて祖母の家に行った。

田舎の、街灯がまばらな200mは…都会では想像もつかないくらいに真っ暗で。

「帰ってくるから」の意味を覚悟しながら歩いた。


曾祖母の部屋を片付けられ、布団が敷かれ。


そして、「葬儀の時にだけ飾る掛け軸」というものが納屋から出されていた。


あぁ…そうなのか。

覚悟はしたけれど、もう生きてはいないんだなと悟った。

最後に、生きているばぁちゃんにあったのは。

生きてるばぁちゃんに触れたのは…いつだったかな。



曾祖母には、10歳程度年の離れた姪がいる。

曾祖母はその人を育てた。

血の繋がりはないらしい。

嫁いだ家の旦那の兄の子供。

義兄が後妻さんを迎えるにあたってなのか、そこの詳細は分からない。

なんせ大正時代まで遡る。

曽祖父はどうやら長男では無いらしいけれど、家を取っていることだけしか知らない。


その、曾祖母からは姪にあたるばぁちゃんが、祖母の家の裏に住んでいる。

苗字違うから、嫁いだんだと思う。

田舎は昔は部落内で結婚するのはよくあったと思う。

曾祖母の実家は少し遠いんだけどさ。

なんせ…同じ県内でも雪の降らない地域なのに、曾祖母は雪の降る所から嫁いできてるから…

昔だったらさぞ遠かったろうに。


まぁいいや。

その曾祖母の姪。

うらのばぁちゃんって私は呼んでた。

うらのばぁちゃんが、ひぃばあちゃんが亡くなったあとは代わりをしてくれてた。


既に進学して家を出ていたから、たまにしか会わないけれど。

帰った時にはお土産持ってうらのばぁちゃんに会いに行きます…

いない時は「そこら辺散歩してるよー」って教えてもらうから、探して歩いた。

いつもバギー押してどこにでも散歩行っちゃうパワフルばぁちゃん。


会えば必ず「おぅ、つな!帰ってたんかぁ。元気かぁ?」ってズーズー弁でニコニコしてくれて迎えてくれた。


国家試験受かった時も、すごく喜んでくれた。


「あんたは、ちゃあんとばぁちゃん(ひぃばあちゃん)との約束守ったなぁ。偉いなぁ」って褒めてくれた。


うらのばぁちゃんは、ひぃばあちゃんと同じ96歳で亡くなった。

お風呂で足を滑らせて、溺死だったって。

嫁を亡くしたちょうど1ヶ月後の出来事。

妻をなくした家で、自分の母親が死んでるのを見つけたおじちゃんは心が痛かったと思う。


葬儀には行けなかった。

流石に関係性は濃くても、私から見たら5親等以上離れてる親戚の葬儀に休みは貰えなかった。


お彼岸に帰った時、線香を上げに行かせて貰った。

いつもと変わらない笑顔のばぁちゃんが、遺影の中にいた。


そんなばぁちゃん達に、私は大きくしてもらった。



ばぁちゃん、私。看護師辞めたいんだ。


「たくさん勉強して、偉い人になるんだよ」


ばぁちゃんの指す偉い人って、歴史に名前を残すとかではなくて、人の役に立つような人の事だと思う。



私が看護師になったのは色々な理由がある。


虐待から逃げたかったのも1つ。

親友が交通事故で生死をさまよっていたことも、1つ。


けれど、認知症のばぁちゃんに食事介助をすることが出来なかった。

触ることが出来なかった。それが悔しかった。

今思うと、そこが大きいんだと思う。


だからたくさんの患者さん通してばぁちゃんに出来なかったことさせてもらった。


でもね、ちょっとね。

疲れちゃったんだ。

看護師さんでいることに。


もうずっと限界感じていたんだ。

コロナの病棟に配属になってから、自分は何してるのかなって。

その限界が出たんだろうなって思った。

常にN95のマスク装着して

隔離してる患者さんに怒鳴られて

院内感染だと、転入してきた後に文句言われ続けて

心がずっと、限界だなって感じてた。

だから、疲れちゃったんだ。


楽しくないんだ、看護師してても。


私も、タイムマシーンがあったらね。

ばぁちゃんに会いたい。

ばぁちゃんに会って、もう充分頑張ったからいいんだよって…言って貰えたら楽なのにな。



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