私の仕事


私はコロナ対応の看護師です。

だからね、患者さんは色々なの。



今まで……って言っても2021年の3月までの10年間は脳神経系の病棟だったのね。

もちろん痙攣主訴で来る若い人の中には「心因性」と呼ばれるものもあって……

その中に虐待なども含まれたりもするんだけれど、9割くらいは脳卒中とか神経難病、脳腫瘍……など体の病気。

だから平気だったんだよね。


2021年4月から私はコロナの対応部署に異動しました。

最初はね平気だったの。

平気だったけれど色んなことがおきた2年間。


ツインレイに出会ったし

適応障害になったし

心の勉強したし

自分とものすごく向き合う作業を今もしてる


コロナ対応になったのは、大学を卒業した直後。


私は2年間、通信の大学で編入して勉強してたんです。

卒論に選んだのは「性的虐待」

教員には猛反対されたけど、やる必要があったと思ったんだ

大学入るまでは私の学習テーマって「認知症」と「学生指導」だったの。

それは今でも変わらなくて。

ただ医療系専門学校の人がその資格に準ずる学位を取得するために行く学科って「人間科学」とかそういう部類が今は多いのかな。

もちろん大学編入って手もあるけれど、それだと一旦離職しないといけないの。

なかなか大人が離職って難しいよね。

だから「通信」を選択するとその学科に行くんだよね。


でね、人間科学って何をやるかって言うと……

体の事はもちろん、心や文化も学ぶの。

私はこれがとても楽しかった!

すごいヒットしたのね。

そしてある時思ったの。


「自分の受けた虐待を、ちゃんと知らないといけない」って。



だから、「自分をテーマに論文書くのは、辛いし大変ですよ」って言われながらも押し通したの。


私の担当教諭は心理学系の方だったので、今でこそその理由はわかるよね。

けれど私の中で昇華しないといけない事であるってのも、先生は知ってたからサポートしてくれたんだよね。


その「科学的」な部分から虐待を理解した矢先に異動したの。

っまりこれって「次は心とちゃんと向き合う時間ですよ。その準備をあなたはしましたよ」ってことだったんだなと思うの。



でね、私はコロナ病棟で働く看護師さん。

その事実は変わらない。



異動は引き寄せ。


これは自分で半分引き寄せた。


「先輩が異動した、同期も異動した。次は私だ」って、そのふたりが異動した後から微かに感じていたことだから。


先輩が異動したのが何に関係あるのか?と聞かれるとないけれど。

新人の時同じ病棟だった先輩。

私が3年目の時に神経内科・眼科の病棟に移動したの。

私は4年目になる時、そのお隣の病棟……

神経内科、外科の病棟に移動してそこから9年隣同士の部署にいました。

でも休憩室は同じだし、何だかんだ見守られてた。

そして10年目の春、先輩がコロナ対応になった。

その直後、最初の部署の同期も異動した。

「次は私だ」

そう薄々感じながら

「今年は大学の卒業があるので、それまでは異動はまって欲しい」とお願いしてた。

卒業が決まった直後に辞令を貰ったので、「やっぱりな」って思ったんだ。


最上級に今が辛い


コロナ対応で「最前線」とか言われることに心を痛めた。

普通の病棟に居たら言われることなんてないのに

「ありがとう」と患者以外に言われる。


「あぁ、私は特攻兵なんだ」と苦しくなった。


それでも働いてる。

私にはこの仕事しかないって思ってるから。

私はこの部署で何をクリアしなきゃいけないのかが分からない。

ヒントが欲しいんだ。


いやいや、多分何回も何回も形を変えて目の前に出てきてるんだよ。

きっと今のクリア課題は「職場を変えること」なんだと思う。


そこに踏み切れず足踏みしてる。

だからまた、私に課題がやってきた。


コロナの部署では定期的に各部署から患者さんがやってくる。

そして2件連続で出会ってしまったんです。

「虐待」に。


最初は「精神的虐待」の子だった。

その時はまだ平気だったんだよね。


その子がいなくなったら「性的虐待」の子がやってきた。

師長には伝えることはした。

「私も性的虐待を受けて育ちました。なので、フラッシュバックや患者さんと自分を比較して仕事に支障が出る可能性があるので受け持ちは外してください」って。

カルテを開くこともしない。

もちろん……

転入を受ける時に私はその日、師長代行業務をしていたので情報確認のためにカルテは読みました。

そして

「自分よりも全然接触軽いじゃん」

「性的であって、私のように「性虐待」じゃないじゃん」

「ずるい。この子はずるい。これだけで児相絡んでもらえて、保護してもらえて、病院に匿って貰えてずるい」

って感情が決壊が壊れたようにやって来ました。

私は必死で自分の力で逃げた。

逃げても心が落ち着かない時があって心療内科に行ったのが21歳。

その時に言われた言葉

「思春期から青年期への以降で出てくる不安定さだから」と1回の受診で終診。

その時はまだ自分が虐待を受けていることは言えなかった。

怖くて言えなかった。

リストカットは中1から。

それすら見ないふりされてた。

時に、あからさまに分かるように自主学習ノート(毎日提出する)に血痕が着いたまま提出しても、教員には見ないフリされた。

ピアスをあけたら「高校生になったらにしなさい」って注意もされず……

必死に出してるSOSに気づいて貰えなかった。

なのに今は「虐待」に敏感な時代だからなのか児相が直ぐに介入する。

ずるい。ずるい。

そんなモヤモヤとした患者さんへ対する気持ちと……



虐待もなくのうのうと日本一学費高いと言われる私立大学の看護学部でなんの不自由もなく看護師になり

ちょっと不都合があるとすぐに休職するスタッフが「学校での知識」程度で虐待を語ること。

性虐待を「こういうのって普通、継父とかじゃないですか」って偏見で言うこと。

違う違う。

勉強してないのに何言ってるの。

って嫌になる。


救命に居た先輩が「リスカってこうだから」って語るのも違う違うそうじゃない。



性的虐待もリストカットも、「死にたい感情」も私にはすぐに隣にあるもので、ただ「死ぬ行動」だけは周囲への迷惑を考えると踏み込めない……

「理性」が働いてるのではなくて「考えすぎる」から行動に移せないだけの弱虫。


でも病棟スタッフの誰よりも虐待も性的虐待もリストカットも当事者だから知ってる。

だから経験してもないのに語らないで……

辛さを知らないのに語らないで……

そう思ってしまう。



精神的虐待の子が居なくなって、とても心が軽くなったのに

同じ虐待の子が来てもっと心が重くなる。



今が、超絶に辛い。



私の中に残る課題って何?


ひとつクリアすると、もっと核心に触れる課題がやってくる。