私がしてきたこと


こんにちは。

今日はお休みなのですが、生憎の雨模様。

何か悲しい出来事があったのかな?と空を見上げながら昨晩受け持った方が旅立たれたのだと感じました。

帰り際「一緒に朝を迎えてくれてありがとうございます」「お疲れ様でした」そう伝え私はサヨナラをしました。


患者さんの例


守秘義務があるので、詳しいことは書けません。

その方は急な病気で入院中にコロナを医療者からうつされました。



このご時世、どこでも感染者になれますので医療者を一概には攻めることはできません。

感染者、濃厚接触者で休務者も多く、体調が悪くても「休みたい」を言えないのも現状です。

事実、私も4回目のワクチン接種後も例に漏れず体調を崩しましたが……

「休みたい」が言えませんでした。

それを言える勇気を持つことが今、みんなに課せられている課題ですね。


患者さん。

患者さんは状態がとても悪いかたです。

意識もJCSというスケールを使って2桁(声をかけたり、痛みを与えることで何とか目を開けたり抵抗できる程度)で隔離のためいらっしゃいました。

コロナになると必要な治療がストップしてしまいます。

CTやMRIは1番最後。

例えば消化管出血があって内視鏡での出血確認と止血が必要でも、緊急性が無いと判断されたら隔離期間中は実施しません。

がん患者さんの化学療法も、手術が必要な方への手術もストップ。

出産をされた方は……赤ちゃんと離れて過ごします。


患者さん。

私が夜勤でこんばんはをした時はJCS300(何をしてもなんの反応もない)でした。

血圧は60も無く(血液を脳や臓器に送れない)、尿も出ません。

いつお迎えが来られてもおかしくない状態。


けれど夜勤に入った時に1つ、私は意識のない彼女と約束をしました。

「一緒に朝を迎えましょう」

と。


私は夜の看取りが大嫌いです。


昼と夜の違い


コロナを抜きに考えてみましょう。

昼と夜の看取りについて。


昼間は交通機関が動いています。

家族も起きているし、自分の担当医もいます。



夜は、その逆です。

夜中に「とても不安定な状態ですので、今すぐ来れますか?」と電話をすることは家族を動揺させます。


言葉をマイルドに伝えて察してくれる方は良いのですが、直接表現をしないと理解されない方ももちろん居ます。

それでも私はなるべく濁して病院へこられるように言葉を選びます。

「脈がゆっくりになってます」

「息が浅くなってます」

このワードを看護師に伝えられている時、病院に家族が到着するのが間に合えば良いのですが……

本当に急に旅立たれる方もいますのでおおかた「止まっている」状態にあると考えていただければ幸いです。


それを伝えてしまうと家族は無力感に襲われたり、憤りを感じたり、動揺して来れなくなってしまったりもします。


なので他の家族の協力も得やすい昼間がいいです。



なので患者さんにも

「朝になれば、家族もゆっくり休息が取れているし、皆来ることができるから。」

「担当の先生が来るからね」

「バタバタしないで、ゆっくりと過ごせるから」

だから朝までよろしくね。


言葉の力


それがどこまであるかは分かりません。

けれど昨日の方は私との約束を果たされました。

時折不整脈が続いたり、呼吸状態が悪くなりながらも私自身「大丈夫」という確信もありました。


一緒に朝を迎えてくれ、ありがとうございます。



〇〇ナース


「この人の時は必ず」というものがあります。


「この人はよく急変にあう」

「この人が来ると忙しいのが嘘のように落ち着く」

「この人はよく看取る」

「この人はよく転ばせる」

「この人はいつも管を抜かれる」


私は「看取る」が多めです。

担当の患者さん、担当ではなくても仲良くしていた患者さん。

なぜ、私を選んでくれるのかは分かりません。


逆に急変はほとんどありません。

事故もありません。

1度、同じ看護師の時にだけ管を抜く方がいました。

脳障害があるので、どこまで本当に理解出来ているのかは分かりません。

ですがその方を受け持つ時に私はいつもしていたことがあります。

「私はあなたを信じてるから腕は縛りません。」

と伝え、外します。

1分から見守り、5分、10分、とその人が覚えていられる時間を探します。

約束時間の度に「ありがとう」と伝え、約束をし直します。

もし管に触れていたら、怒るのではなく「痒かった?」「痛かった?」と目を見ながら確認し対応しました。

その方が言葉が出るようになった時、ふと聞いてみました。

「なぜ、私の時は約束出来るのに、担当さんの時はいつも管を抜くの?」と。

「あの子が嫌いだから」そう言われました。


なるほど。この人はちゃんと分かってるんだ。と感じたのです。

担当さんは誰よりもキツく手を縛りあげ、解く時間も作りません。

それでも、栄養の管をその人は抜きます。

見かねた私が「そんなにキツく縛ると、手が痛いよ」と助言した時に彼女は言いました。

「この人を信じてないんです。私は事故報告書は書きたくありません。だから縛ります」

ベッドサイドで言われた言葉です。


とても残念な気持ちとともに申し訳無くなりました。

その子が新人時代は私とチームが違ったので、直接育てた訳ではありません。

ですがこんなにも心が寂しい看護師にしてしまったと。

そんな看護師を患者さんの前に立たせてしまったと。



看取りって何かな


大幅に脱線しました。

「看取り」

「看る」は看護をするの「看る」です。

看護師である、私は「看取り」に納得します。

また家族も「看病」する一員なので納得です。


では医師は?

医師は「看る」ではなく「診る」です。

なので医師が「看取り」と使ってると違和感にモゾモゾします。

もちろんモゾモゾしない時もあります。

それは患者さんを、大切に考えている先生の時です。


回診に行った時にベッドを見下すのではなく、自分がしゃがみ目線を合わせている方。

手を握り「頑張ってください」ではなく「大丈夫ですよ」と声をかけている方。

何かあった時に電話で、指示を出すだけではなく実際に患者さんを診察しに来、自分の目で確かめる方。


そういう先生の時は「チームだな」と感じます。

そういう先生は最後を見送る時も、一緒に管を外しながら「お疲れ様」と患者さんを労ってくれます。

時に一緒にケアをしてくれたりもします。

忙しいのを分かっているから、ありがたさしかありません。




ではモゾモゾする時は

上から目線で、指示の変更も看護師に伝えてくれません。

指示を偶然拾って確認すると「意図して変えてるから、一々電話しないで」と言われます。

指示を拾えなかった時は「なぜやってないの」と、こちらを攻めます。

最後が近い方が居ても「止まったら呼んで」と何日も前から生きている人の死亡診断書を書いて病棟に預けています。

「診」ても「看」てもいません。

ただ事務的にこなしているだけ。

当直時間なんて、看護師への指示に

「止まったら当直確認」これはまぁ、分かります。

先生も人間ですし、お別れに間に合わない時もあります。わざわざ夜に呼び出す必要もないですしね。


「止まって、家族が到着したら当直を呼ぶ」とかもあります。

はじめまして。さようならですよね。

つまり亡くなったことを医師の職務権限で確認しているだけ……。

出棺の時は「その時の病棟当番呼んでください」と言われることも多々。


それでも「当直として預かってるので」と消灯前に来て下さる方、お看取り確認した後に自身の休憩時間でも「出棺の時に呼んでください」と言ってくださる方には愛を感じます。


看取りってなんですかね?

「確認」だけしにくる人に「看取り」って言葉は使って欲しくないと本音は思います。


コロナで旅立つこと


コロナでの感染隔離中に、旅立つことはとても過酷です。

私たちは「納体袋」という白いビニール袋に患者さんを納めます。

ファスナーで密閉され、顔のところにビニールの覗き窓がある袋。

それを、さらにテープで目張りします。

とても嫌な気持ちになります。


「こんな風に見送りたくない」という医療者としての気持ち。

それよりも「生きてきた集大成がこれか」と言う無念さ。

思い描いた「日本人としての最期」では無いのです。

今は1日葬などもありますし、住宅事情から葬儀屋さんに直接行かれる方もいます。

ですが私が知っている最後は……自宅に帰り、通夜までの間家族が交互に夜勤をしながら線香をともし続ける。

通夜をし、告別式を経て、家族に骨を拾い納めて貰う。

そんな当たり前と思っていたことができない世の中です。


私の体験


私は人生で2度しか身内の最後に立ち会っていません。

1人目は曾祖母。

その日は私の定期テスト真っ最中。

そして葬儀は1校目の試験の日。

「たくさん勉強しなさいって言ってたばぁちゃんだ。自分のせいで試験行かないのは怒るよ」と皆に送り出され葬儀に立ち会うことは出来ませんでした。

ですが通夜までの間、久々に自宅に戻った曾祖母の変わり果てた姿に、怖さと安堵を感じました。

変わっていく曾祖母が怖くて触れなかった生前。

ようやく握った手はとても冷たかった。


何も出来ないことが悔しくて、看護師をめざした。

食事介助をする母に「やってみる?」と促されたのを拒否した高校1年生の自分。

触れなくて、怖くて、会うことすら拒んだ高校3年生の自分。

大好きで、いつも膝の上にいた5歳の自分。

曾祖母の死は、より一層受験に対して真摯に向かうきっかけでした。


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看護師13年目。

大好きな伯父を見送りました。

コロナ1年目の冬でした。

原発不明の末期ガン。

ガンとわかるまでに1年、ガンと分かって治療を始めて10ヶ月。

田舎の総合病院と自分の勤務する大学病院との差を知り、医師の「事務的対応」に色々考えました。

患者の家族になることを知りました。

「これだと思う」を伝えてもスムーズに行かない診療。

私も妹も担当医よりも臨床経験は長く、伯父から伝えられる断片的な情報から「今起こっていること」の予測ができました。

やるべき検査を知っているのに、医師の意見と違うと進んでいかない。

それ以上に「医療者は医療者を嫌う」傾向にあるので、言えば言うほどに無視をされる現状。

まるで意地悪をされている気持ちでした。


伯父は心血管が悪く治療をしていました。

心不全にもなりやすい状況でしたが、その時肺に溜まっている水は「心臓由来じゃないです」と当時の主治医に画像のコピーと共に言われました。

それならば呼吸器にかけて。そして胸水の検査をして。

「来週まで様子を見ます」が答え。

その間にもどんどん伯父は苦しくなっていきました。


呼吸器に転科し、ようやく胸水を抜いて貰えました。

「今日、管が入ったよ。〇cc抜いたんだ。医者の顔が焦ってたぞ。」とLINE。

1日に抜くべき量以上を抜いていることが分かりました。

それを伝えるのではなく隠されたようです。


胸水が抜けたら退院。

その一ヶ月後には腹水が溜まっていました。


診療科が変わる度に不安を募らせる伯父。

毎日、毎日私に不安を訴える連絡が来ていました。

私は都度、その処置をする理由を伝えました。

痛み止めが欲しいと看護師に伝えて良いことを諭しました。


伯父は毎日、私に連絡をしてきます。

安心したいから。

伯父は結婚をしていません。

早くに父親を亡くし、下の弟妹の父親変わりをしていました。

我慢強い人でした。

そんな伯父が吐く弱音。

私を含む姪達を自分の子のように可愛がりました。

特に私の言うことは何でも聞いてくれました。

脳血管の時も、心臓の時も「先生も看護師さんの言うことも聞かないのに、ツナちゃんの言うことは聞くんだよ」と母や叔母に言われました。

それだけ伯父に信頼してもらっていたんだと思います。

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ある時、私は強行手段を取りました。



母親に「娘は看護師です」と言うように伝えるよう。

医療者は医療者の家族を嫌がります。

なぜって?

下手なことが出来ないから。

言い訳が通用しないから。


母は若いので、伝えても私は新人と思われると感じたので、もう1つ付け加えました。

「大学病院で、〇年看護師してる娘がいてね」と伝えるように。


母も察してくれたのでマイルドに伝えます。

「手荒れ大丈夫?私にも看護師してる娘がいるんだけどね…」

「娘は心臓外科と脳外科しか経験がないから、消化器の事がよく分からないんだけれどね」

と私を落として伝えてくれましたが、これだけでも充分です。

薬が変わった時は

「薬剤師の娘がね、何の薬を使ってるか知りたいって言ってるの」と伝えさせました。


従妹が面会に行った時も

「〇ちゃん、伯父ちゃんが自分の体を使ってガンを〇ちゃんに教えてくれてるんだよ。実習の時に役立つね。ありがたいね」と母は伝えていました。


「この人は大切な家族です」を伝え続けました。



ようやく伯父の状態をしっかり知ることが出来たのは、緩和病棟に移った時です。

そこの師長さんと緩和の先生が教えてくれた時でした。

同じ医療者だからと、都会から行く私の面会も許可してくれました。

「こうして欲しい」を聞いて貰えました。その上で難しいことに対しては説明頂けました。

私がいた事で、他の家族も初めて聞いた事実があったみたいです。

緩和の先生は「看護師のあなたに嘘を言っても仕方がないから」と全て教えてくれましたので、私も家族も納得することが出来ました。



めんどくさい家族です。

医療者の中でも、特にめんどくさい家族をしました。

1番、嫌われるタイプの家族をしました。

それは、伯父が家族の中で…

義理の弟達からも、職場でもみんなに好かれる人だったからです。

だから私と妹、そして母は嫌われ役をしました。

だからこそ残された家族は納得できた面もあったのかなと思います。

怒りっぽい叔母が、私と緩和の先生が話している時は隠しきれない主治医への憤りをぐっと堪えてくれたのも、その後に「ようやく納得出来た」と言ってくれたのも。

めんどくさい家族になることを選んでよかったのだと思いました。

でもそのくらい、家族の死って重大な出来事なんですよ。

それを私は身をもって体験しました。


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死後。

住職は「医療のプロが感染対策出来ていなかったら、僕達はもっと出来てません。」と葬儀社を一括し、遠方から参列する私、妹(薬剤師)、従妹(当時看護学生)を快く迎えてくれました。


最後の最後は、人に恵まれたと感じました。


コロナで送り出すこと


「死亡確認しました」

で医師は終わってしまう方がほとんどです。

攻めたいわけではありません。

それが仕事ですから。


遊びに行って感染し、体調不良を隠して働く看護師が媒介者となることもあります。


遊びに行くなとは言いません。ですが少しだけ考えて欲しいことがあります。

そして是非、一緒に体験頂きたいことがあります。


一生懸命関わってきた方を袋に入れること。


「袋に入れる」その行為1つでも心のダメージは相当なものです。

無念で、悔しくて、苦しくて、不甲斐なくて、自分が悪くないのに申し訳無い気持ちに苛まれます。


その悔しさを知っているからこそ、コロナチームの……

少なくても私の職場のコロナチームのスタッフは、外に出かける娯楽を楽しむことを辞めました。

正直、コロナ患者しかみていないので、病院で誰かを感染させるリスクは少ないのですが……

それでも制限を自分にかけるのは

「自分の家族を守りたい」からなんですよね。



おまけ


「まとめ」ることが出来なかったのですが、どうしても書いて吐き出したかった。

私の中にグルグルする感情。

それを配属された去年1年は、ずっと溜め込んでしまい適応障害になりました。

「私を殺して!」と親にLINEを冬に送っていました。

吐き出す場所も必要ですよね。


ここまで読み、嫌な思いをされた方は申し訳ありません。

読んでくれてありがとうございます。



さてさて。

2年前に亡くなった伯父。

49日の日に会いに来てくれました。


「誕生日に一緒にいちごケーキ食べようね!ガンとわかった時に約束をしました。

約束の通り、還暦の誕生日は一緒に過ごしました。

その時は嘔気が強く、何かを口にできる状態ではありませんでした。

なので訃報を聞いて実家に戻った時、私はいちごのケーキを買って帰り眠る伯父の前に誂られた線香台に備えました。

葬儀が終わり、みんなが帰る日は私の母の誕生日。

ちょうど翌日はクリスマスイブでした。

叔母に願い、ケーキ屋に連れて行ってもらい買ってきたケーキ。

4日間で2回もケーキを食べました。

伯父にも備えました。

食べたかったものを食べれ無かった伯父に、これでもか!ってくらいプレゼントです。


そんな伯父が49日、私の夢の中では美味しそうにビールを飲んでいました。

知らないおじいさんと一緒に。

きっとその人は私が生まれるうんと前に亡くなった祖父だと思います。


「うまい?」と聞く私に

「美味いぞ!」とビールの泡で髭を作りながら答える伯父。


「こっちでの治療は終わりだ!次は、ツナの所に行くからな。」そう言って光に消えていきました。



起きた時私は「あぁ、しばらく光の世界で休んだ後、私の子供として生まれ変わってくるんだな」と思いました。

その翌年、私はツインの彼に出会いました。

今はサイレント期間です。

妊娠する兆しすらありません🤣

ですがハイヤーが「ピルやめなよ。」と告げるのです。

その後から飲んでいる自分がとてもイライラしました。

えいっと辞めちゃいました。

サイレント真っ只中。

誕生日すら忘れられ🤣

それでも今は「もうすぐ戻ってくる」って感覚でいっぱいです。


私は子供の時「お母さんと同じで20で結婚しなきゃいけない」という思い込みがある中、母は「いやいや、30までは遊びなよ」と頑なに言い続けました。

そして大人になってからずっと思っているのは、男性嫌いなはずなのに「38で母親になる」という謎の確信です。


36歳、何が起こるかは2年後のお楽しみですね。