本日6月3日は、両親の結婚記念日でした
子供の頃「あのロウソクが10の所まで燃えたら、離婚するから」 と言われていました。
ロウソクって何?ですよね。
昔あったんですよ。結婚記念日に1年分ずつ灯して溶かしていくやつ。
結局、火をくべることはなく引越しの時に捨てられていました。
なんなら「でした」って過去形ですので、今は祝うこともありません。
私が30歳を迎える年に両親離婚しましたんで
親とのこと
こんばんは
親から虐待を受けて、非加害親にはその虐待を無視されて。
それでも私は親へ感謝をしています。
変ですよね
だって、今も私はその虐待の傷を捨てられずに前に進むのが怖いことがあるから。
傷つけられた言葉を手放せずにいることもあるし、新しく周囲の人に言われた「傷つく言葉」を握りしめてしまうこともあります。
それでも、親には感謝してます。
なんなら、虐待されたことも、感謝です。
つな、変人やん
私の思考
虐待を肯定するわけじゃありません。
けれど虐待をした親もまた、心理的に何かを抱えて生きていたのかもしれない・・・
そーんな大人なこと、考えられるこどもじゃなかったですけどね!
リアルタイムで虐待を受けていた時は
「妊娠してしまわないかな」という恐怖からはじまって
「私は汚い」から「外見も醜くいなければいけない」と過食に走る。
「汚い私は恋愛できない」って、恋愛漫画に憧れ抱きながら遠のき
「ファーストキスとか初体験について話せない」と友達からも距離を置く。
気づいた時には一匹狼・・・と、見せかけた孤独
スクールカーストの底辺「別枠」みたいなのいるじゃないですか?!
いじめられもしないけれど、クラスに馴染んでるわけでもなく、なんならいるかいないかもわからないけれど・・・妙に個性ぶっぱなしてるひと。
つな、思い切りそれでした。
けれどね、好きで一人だったんじゃないんです。
怖かったんです。
何重にも鎧を自分に着せて、偽りの笑顔を・・・
むしろ笑うってなに?状態で感情の死んだ顔でただひたすらに自分の趣味にはしってた。
趣味・・・?
うーん・・・
趣味だったのかな?
今思えば別にそれ、好きじゃなかったんですよ。
だから「逃避」ですね。
ずっと漫画読んでる。
毎日朝に2冊、昼に2冊、放課後に2冊の本を図書室で借りて、ずっと読んでる。
本を読むのに忙しいから話しかけてくれるな的な
今、本読まないです。
嘘。
読むけれど1日に6冊なんて読めやしない!!
1ヶ月に1冊も読まない時もあれば、3冊くらい読む時もあります。
けれどそんなもんですよ
あの時思っていたことは
「なんで生きているのか、わからない」
「でも私がいないと、妹が今度は父親に汚される」
「私が我慢すれば、妹は大丈夫」
「私が我慢すれば、この偽りの家族の形は崩れない」
だから、私が我慢をすればいい。
けれど私は汚い。
きっと恋愛なんてできないし、結婚も無理。
自分で自分を生きていくための何かを身につけなければいけない。
私は、一人で生きていくんだ・・・
そういう風に思ってたんですよ。
小学生くらいの時はすでにそんな感じ。
だから「女子校いきたいな」って思っていても「そこに行っても食べれない」って思う。
「商業高校に行って資格をとろう」っていきたい高校の夢をすてた。
あ、これには別の要因もあるんでそのうち書きます。
「高卒じゃ、いきていけない」って気づいて「看護師になろう」そう思った。
それが今の私です。
親への感謝
冒頭に戻ります。
なんで、親に感謝をしているか。
それは私に看護師という職を与えてくれたからです。
看護師になるにも、お金はかかります。
いうて私は専門学校ですので100万円くらいで取れた資格です。
それでも学費を出してもらえたことはありがたかったです
女性が生きていくスキルとしては、充分な資格です。
それに看護師って未婚や離婚経験のある人が多いんですよ。
それだけシングルでいても自然。
周囲に何も言われないんです。
専門学校に進んだから、そこで出会えた同期
寮生活で徐々に修正されていった私の体型・・・(当時15Kgくらい痩せました!)と、存在
家に帰らない決断をしたから出会った職場
仮に大学に行っていたら、職場の同期も「先輩」で、今と関係性もうんと違いますしね。
だから虐待は辛かったし、無いものにされたのも辛いけれど
虐待があったから私は看護師になろうと思えました。
今いる大切な仲間にも出会えました。
だから、感謝なんです。
スピリチュアルな視点
よく「神様は超えられない試練は与えない」とかいうじゃ無いですか。
けれどそれって綺麗事だなって思うんです。
すぐには超えるの難しいこと、たくさんあります。
渦中にいたら、辛いし。
なにより周囲が見えないから、何をどうすれば解決できるかなんて考えられないんです。
だから逃げたっていいと思う。
私はね?
それでも、魂を成長させるために生まれる前の自分が手に握ってきたストーリーなんじゃ無いかなって思います。
だからこそ、要所でお助けが入るんです。
・・・そう思ってるよ?
そして今、私がこうやって虐待と向かい合い、発信しようと思うまでに至ったのもその一つだと思ってます
長い目で見て、あとから振り返ったら全部繋がってる。
偶然に思えた選択も、全部必然だった。
だからそんなスピリチュアルな考えにも至ったのかもしれないですね