不登校になった二人の子供たち。

市が運営するSスクールに通いだして、カウンセリングを受けるようになりました。

子供たちだけではなく、母親の私も。

 

 

カウンセリングの先生は、小柄な男性の先生で穏やかな口調の人。

顔が無表情だったので最初はとっつきにくい印象でしたが、淡々と私の話を聴き

アドバイスして下さいました。

 

 

「お子さんは二人とも、とても感性が高いタイプ。

 道端に生えている雑草から詩を作れるタイプですよ。

 多くの人が見落とす雑草から詩を作り出せるというのは、ある意味才能ですけど、

 普通の人が気付かない事に気付いてしまうという事です。

 その分、周りの子より10倍くらい疲れると思って下さい。」と。

 

 

その言葉が妙に納得でした真顔

上のお兄ちゃんは、毎日「疲れた疲れた」と口癖のように言っていました。

ただ学校に行ってるだけなのに、そんなに疲れるの?って思っていましたが、

 

 

私自身も、

「夏休みとか冬休みみたいな、大きな休みに入る頃よく体調を崩していたから、

 気を張ってたんだろうね。」

と、母から言われたことを思い出しました。

自分ではそんなに気を張ってる感覚はなかったんですけどねあせる

 

 

でもこのカウンセラーの先生の一言で、良い意味で諦めがつきました。

花をきれいと思えない人に、「花をきれいと思い感動して下さい。」と言ったところで

所詮無理な話。

ちょっと例えが悪いかも・・・ですが、感じてしまう事を感じるなと言っても無理ですよね。

 

 

二人ともとっても繊細で優しい子。

だけど空気を読みすぎるところがあって、人の感情がよく分かるからこそ疲れちゃうんですよね絶望

二人とも音楽とか物を作ったり描いたりすることが得意で、好きで。

ただ既存の学校には合わない。

ただそれだけ・・・

 

 

そう思うようになってから、今まで当たり前に自分が行ってた、子供たちに通わせてた

学校に対して、違う思いが湧いてきました。

みんなと同じ、”普通”って何?って。

”普通”って言葉を調べたら、

 

特に変わってない事。

ごくありふれたものである事。

それが当たり前である事。

 

って書いてありました。

要するに大多数だと普通になるんですよね。

そんな事、意識もしないで考えもしないで過ごしてきたいわゆる”普通”の私。

 

 

この頃からようやく子供たちを受け入れられるようになってきたのかもしれません。

だからといって、もう全然OK。100%受け入れます。なんていうレベルではないし、

この後も階段を一段ずつ上がるように、

「受け入れてるって思ってたけど、まだまだだったな。」

と思い、更に時間をかけて少しずつ肯定できるようになっていくんですが。

だから、まだこの頃は階段の1段目を上がった感じかなニコニコ

 

 

それでも心はかなり楽になりましたけどね。

父親も毎日子供の様子を見ていて、どうにかしようとしても仕方ないんだなって

分かってくれたみたいで。

夫婦で「仕方ないよね」って思えるようになりました。

 

 

ここも個人差ありますよね。

割と最初から受け入れられる人もいるし、(少数だと思いますけど)

中には何年経っても受け入れられないっていう人もいますね。

でもね、受け入れられない方が辛いと思うんですよ。

 

 

だって抵抗が生じるわけだから。

結局「全受容」って最強なんですよね。

 

 

今日も読んでくださってありがとうございました。

続きはまた・・・