不登校日記12
子供たちが不登校になり、色々な事を考え、反省したり、日々たくさんの感情と向き合い、ふと習い事も好きにさせようと思いました。それまでの私は、子供たちにこうなってほしいとの思いがたくさんあり、そして苦手な事があるならそれを克服させなきゃと力が入っていたように思います。スイミング・ピアノ・学研・バレエなど習いに行っていましたが、「好きなものをやればいいから、気が乗らなければやめていいよ」と言ったら見事にほとんどやめましたスイミングは私自身も子供の頃習っていて、泳ぐ楽しさを味わってほしかったし、全身運動で身体にも良いし、何かあった時にある程度泳げる方が良いと思っていたからです。ピアノもそう。楽譜を見て、弾いて、耳で聴く。脳にも良いに違いない…みたいな感じ。バレエは、娘が元々身体が柔らかかったのでそれをキープさせたい。姿勢が良くなる。見た目も可愛い。私自身がヨガインストラクターですが、元々身体が硬いところからのスタートで、硬い時には身体にも色々不調がありました。柔らかくなるまでも時間がとてもかかりました柔らかくなってからは、マッサージとか整体、整形なんて縁がなくなり、やっぱり身体を柔らかくするって必要と思ったので、柔軟性は大事と思っていました。(柔軟性は大事だと今も思っていますけどね)ただバレエの発表会の時も娘はかなり緊張していて、その頃心因性の頻尿もあったし、人前に出ることが娘は苦手だし、これはただ私の自己満足じゃないかって思ったんです。学研はお兄ちゃんはそのまま続けました。勉強が遅れる事に対して危機感があったんだと思います。国語・算数・英語は小学校卒業するまで、頑張っていました。習い事をやめた後、「何かやりたいことがあったら言って」と声をかけたら、お兄ちゃんはベースを。妹はお花とスイーツをやりたいと言いました。お兄ちゃんはピアノも続けていました。音楽が大好きで、朝起きたら歌うような子なので・・・ベースも独学でやってましたが、これがなかなかすごくてネットで好きな曲のタブ譜を見つけて、それを見ながら、そして指使いも見ながら弾けるようになるんです。これはすごいなと思っていました。だからベースは大賛成。娘は絵を描いたり、工作することが大好きで、何か手を使って物を生み出すことが得意。マヤ暦でも(知ってる人は分かると思いますが)青い手を持っているので、まさに!!でした。私が良かれと思ってやらせていたことは、嫌いではなかったけど、そんなに好きでもなかった。自分からやりたいと言ったことに関しては、やっぱりめきめきと上達するんですよね好きこそものの上手なれ、ですね。前回のエゴについての時も書きましたが、結局「私」が習わせたかった。これがよく分かりました。これが得意になってほしい、こうなってほしい、そうなってくれたら「私」が安心って事なんです。「私は子供に押し付けたりしてません」っていう場合でも、基本的に子供は親に喜んでほしいから、親の心を読み取ってしまうんですよね。子供って本当に親をよく見ているので・・・口ではこう言ってるけど、内心は違うよねって、深いところで分かってる。子供に期待するなというわけではありません。親だったら期待するのは当然だと思います。ただそこに本人の本心があるかどうか。本当に本人がやりたいかどうか。そして本人がやめたいと言った時に、ちゃんとやめさせられるか。「お金がかかった」とか「すぐやめて根性がない」とか余計な事を言わずやめさせてあげられるか。向き不向き、得意不得意があるけど、やってみなくちゃ分からない。やらせてみて、やっぱり違うと本人が思ったのならそれはそれで仕方ない。やる気がないものにお金を払わず、執着せず・・・それが大事かなと思います。その子の人生を背負おうとしていないか、言いなりにさせようとしていないか、本当の自由を与えてあげられているか。ですよね。どうしてもやめさせたくない!という強い感情が湧いてきたら、親自身に癒しが必要なのかもしれないです。どうしてそう思うのか、どうしてそんなに不安になるのか。私は習い事に関しては案外あっさりしていましたけどね学校に関しては「行ってほしい」という気持ちから離れることはなかなかできなかったし、時間がかかりました。子供に対して、「最近の私、いい感じだな」と思っていても、色んな出来事や内観することでまだまだだった、クリアしていなかった、もっと上の世界があった、と気付くことの繰り返し。そうやって少しずつ抽象度を上げていくのかなと思います。最終的にはジャッジのない、あたたかな世界へ学校行く行かない、じゃない世界へ今日も読んでくださりありがとうございました。