前回の記事の続きです^^
家があった場所に行ったあと、仮設住宅に行きました。
祖母にお正月ぶりに会いました!
やはり震災前とは生活が違うので、高齢の祖母のことが心配ですが元気そうで良かったです。
祖母は私たちにご飯を用意して待っていてくれました
今一人暮らし中の私にとっては母のはもちろんですが祖母の作ってくれたご飯もすっごく嬉しかったです
焼き魚や、きんぴらごぼう、ワカメの茎を煮たもの、ワラビの和え物?、お味噌汁などなど。。。
しかし!食べようとしたとき叔父からストップがかかりました!
何事かと思ったら、焼き魚はタラだったのですが、子供たち(私と兄)はタラを食べてはダメだと。
なぜ!!!!!!!!なぜならセシウムの基準値が・・・・。
そのタラはお店で買ったものではありませんでした。(叔父が漁で獲ったものか知り合いの漁師さんからいただいたものだと思います。祖母たちはよく獲ったお魚や作った野菜をご近所におすそ分けしたり、いただいたりします。)
その後、そのワラビもダメ!ゴボウは群馬のだから大丈夫!など食べられるのも・食べられないものの
分別が始まりました(TT)
私、お魚が大好きなので(祖父、叔父が気仙沼で漁師をやっていたのでおいしいお魚を食べて育ってきたのです!笑)そのタラがすごく食べたかったんです。
なので「なんで子供はだめなの?」と聞いてしまいました。
すると、放射能とかセシウムの影響があらわれるのは今すぐではなくて30年後とか先のことなんだよ、という答えが。
私、お恥ずかしいことにつながるわの活動をしていながらにして放射能などについてはほとんど知らないことに気が付きました。
普段東京に住んでいる私にとって、水道水を飲むのを控えたり少し気を使うことはあっても、放射能やセシウムを常に意識するほど身近なものではありませんでした。
漠然と放射能が怖い、セシウムが怖い、と思っていただけで何がどう怖いのか、危険なのかを考えていなかったように思います。
もしかしたらこの時が放射能やセシウムのことを一番リアルに感じた時かもしれません。
といっても、例えば三陸産などでもお店に並んでいるものは確実にきちんと検査をしているものなので、魚介類などみなさん安心して食べてくださいね!
漁師町ならではの出来事だったと思います。
食べられないものがあったのは少し残念だったけど、食べられるものはおいしくいただいてきました!
次に私が気仙沼に行くのはおそらく夏の学校が夏季休業の時ですね!
その時までにまた少しでも気仙沼が明るく発展していたらと思います。
仮設住宅のこと、新しい家の建設のこと、どんどん溜まっていく瓦礫の処理こと、震災から1年以上たっても被災地にはまだまだ問題が山積みです。
離れた場所にいますが、私にできることは小さなことでもやろうと改めて思いました。
それでは!私の初ブログ、長々と書いてしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。
また更新します^^
☆おまけ☆
叔父からワカメをもらって東京に戻ってきました。
先日友人がうちに来て夕ご飯を食べたとき、このワカメをサラダに乗せて出しました
おいしいと言って食べてもらえたのでとっても嬉しかったです!
三浦