手を差しのべることについて | カウンセラーやまだの生きかた探究♪

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その背中が次の誰かへと伝わっていく♪



ちょうど一年前、ホームレスさんに炊出しを届ける活動に参加したのを思いだす



寒い冬の夜、ホームレスさんたちはスタッフの人たちが配るおにぎりやみそ汁を喜んでくれていた(少なくとも私が見た範囲での話)


その時の様子はこちら








つい最近、近くの公園におられるホームレスさんところへ行ってみようと思い立ち、一人で行ってみました



このホームレスさんのことは前々から見かけており、ずっと気になってはいました


ただ、声をかけるとか、何か手助けしようとまでは思っていなかった



そんな中、ここ最近は自分の中から湧き上がってくる思いがあった


「温かな気持ちを少しでも分けることができれば…」と



使わなくなった手袋やマフラー、味噌などを渡そうと思い準備しました


もし寝ておられたらそっと近くに置いて帰ろうかとも思っていましたが(正直そのほうが気が楽ではあった)、

声をかけることで物ではい何かを手渡しできることもあるかもしれないと思い、意を決して近づき「こんにちは〜」と声をかけました


すると、役人かなにかと思われたのか、こちらに目を向けるも声は出されない


私も二言目がなかなか出ず、「よかったら使ってください」と紙袋を差し出すと、

「いい(いらない)、持って帰って!」とあしらわれた



正直、行くまでにかなり勇気がいっただけに、受け取ってもらえなかったことに残念な気持ちになったのと、脱力した


だけど、相手のほうに思いを馳せれば、その方の自尊心を傷つけることをしたかもしれないなとも思った



適切な表現ではないかもしれいないけど、
"愛や喜びから遠い位置にいる人(不良と呼ばれるこどもたちや引きこもりの人たちなど)"と接するとき、
最初のコンタクトにおいては特に言葉のかけ方やこちらの態度に気をつける必要があるように思う


とても敏感で、繊細な心の状態であることが少なくないし、
そんな自分を必死守ろうとして近づいてくる者に対してかみつくような言動・行動を取ることは珍しくない



そういう意味でも今回のことは学びにさせてもらった








視点をホームレスさんから自分へと変えてみる



そもそも自分はなぜそのホームレスさんのところへ行こうと思ったのか?


掘り下げてみると、大きく2つの理由があることに気づいた



○温かな気持ちを届けたいという思い

きっと独りで淋しい思いやひもじい思いをされており、誰かの心に触れ少しでも温まる気持ちになってもらえるのではないか、と思ったから(あくまでも私が思ったこと)


これは、近頃、自身が充たされている感覚を味わうことが多くなってきたために(外側の変化ではなく、内側の変化から)そんな思いが出てきたように思う




○この豊かさを自分だけに留めず分かち合いたい、と同時に、分かち合わなければ「いけない」のような気持ちもおそらくあったこと


一人だけ豊かさを受け取っているような罪悪感と怖れのようなものがあった


でもそれも、すでに目の前にある豊かさを受け取るかどうかだけの違いだとも思った






今回のことを通して、

"求められてもいないのに手を出そうとすること" について改めて省みる機会ともなった



人は自分で解決していく力、生きていく力を本来持っていること


良かれと思い何でもかんでも手を出してしまうことで、逆に相手の生きる力を奪ってしまう場合があること


手助けは必要最低限でいいこと


(その方の「いい(いらない)、持って帰って!」という言葉の強さ表情を見たときにこの人は案外大丈夫なのかもしれないとも感じたのも事実)



誰かから求められたときに手を差しのべる気持ちと準備はしておき、それ以外では自分のことをせっせとやる


もしかするとこれだけなのかもしれませんね(^^)





思った通りの展開にはならなかったけど、

"思ったこと(気になっていたこと)を行動した"という一点については自分にマルをあげました♪😊