性の話と、伝えること | カウンセラーやまだの生きかた探究♪

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『性教育』

 

って必要なのかも…て感じた話。

 

 

 

 

 

 

 

 

昨晩、とある中学生のカップルを見ていると、

 

じゃれあい、つついたり

あっちこっちをさわりまくったり…

もはや理性なんて吹っ飛ばした動物的欲求(笑)

 

 

そこが他の子どもたちもいる公の場であったことと、

彼らが未熟さや知識のなさから行き過ぎて後々悔やむことがないように大人として話をしておいた方がいいことがあると感じた

 

 

 

 

性教育、

 

したことがない…(汗)

 

 

 

何をどう話せばいいのかわからないし、

自分自身が話づらいと感じることでもある

 

 

そもそも自分のことをふりかえれば

性教育なんて中学生ぐらいの時に授業か何かで年に1、2回話を聞く程度で、

 

親はもちろん、身近な大人たちから性教育や彼らの性的な体験を聞かされた記憶なんてない

(まあ、親の性体験なんて聞きたいとも思わなかったと思うけど笑)

 

そもそも”身近な(話をよくする)大人”という存在が自分にはほとんどいなかったというのもある

(↑ここも、立場とか年齢とか関係なく、ざっくばらんに話ができるこどもたちにとって身近な何かあれば頼れる存在で自分はいたいし、そんな場やコミュニティも創っていきたい!)

 

 

 

 

 

 

 

年齢を重ねるにつれ

人並みに経験も知識も増えていく


 

だけど、そんな性の話を友人に話すなんてことはあまりなかったし、

まして子どもたちに話す(教育として)なんてことは一度もなかった

 

 

だけど、

今回初めて「あ、(性のことを)話しておいたほうがいいかも」って感じた

 

今は自分が学生だった時代よりも情報は本当に多くなったしそれこそ簡単に手に入れられるけど、

 

そこに相手(子どもたち)を思い、生身の人間対人間として伝えている情報は全体のどれぐらいなのか自分には疑問なところがある

 

 

 

“経験豊富で間違いのない人間”

とは自分はかけ離れているけれど、

 

一人の人間、大人として生きている自分にも

彼らの参考になることは少しぐらいあるはず

 

それだったら

 それを自分の恥ずかしさとか見栄とか、そんなものを理由に伝えないのは自分のできることをしていないような気もした


 

 

 

 

 

 

 

伝える上で自分が気をつけようと思うのは、

 

 

・自分の考えを「絶対的な正しい答え」として押し付けないこと

 

・人間だったら当たり前な欲求や感情、ここで言えば、好きな人にさわりたい・ふれていたいという欲求はしっかり肯定し、(大人も同じじゃんね、これ笑)

自分の行為がもたらす社会的なリスクとかそれによってどんな未来が予想されるのかを大人の目線から彼らに想像しやすように伝えること

 

 

 

とは言っても、

どう伝えたらいいのかやっぱり悩むわけで(笑)

 

 

「中学生らしい付き合いをしなさい」

なんて言葉を使おうとしてみたけど、

そもそも「中学生らしい」ってナンデスカ??って自分が自分で問いたくなったり(汗)

 

 

 

今の彼ら自身の立場や状況(学生であり、親の保護下にいること、こどもができたら自分たちで養っていく義務が発生することなど)を認識させ、

その責任と覚悟がないのなら控えるべき行為があるよ、

ということぐらいは伝えられると思った

 

 

 

 

 

 

 

 

自分自身は自由な存在だということと、

大人として果たしていく責任のようなものを感じ、

おれも大人になったのかなあと静かに感じた夜でした^3^♪