- 星野 博美
- 「謝々!チャイニーズ―中国・華南、真夏のトラベリング・バス
」
情報センター出版局
米原万理さんの「打ちのめされるようなすごい本 」で、気になった本です。
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←画像処理の関係か、こっちのが色鮮やかですなぁ。
この度、ちょうど文庫化もされたようですね♪
(しかし、最近の文庫は高いっすね…。810円だって。写真がいっぱいなのかなぁ)
副題にも、「中国・華南、真夏のトラベリング・バス」とあるように、語られるのは、著者星野さんの、中国は華南地方の旅のお話。
はじめに
第一章 東興(トンシン)
第二章 北海(ベイハイ)から湛江(ジャンジャン)へ
第三章 広州(グワンチョウ)
第四章 厦門(アモイ)
第五章 湄洲島(メイチョウダオ)
第六章 平潭(ピンタン)
第七章 長楽(チャンルオ)
第八章 寧波(ニンポー)
終章 東京
おわりに
著者は言う、日本で生きている時、自分に見えるのはシステムである。ところが、中国では人が見える。だから、いつまでたっても出発しないバスも、運転手の子供がバスの中で宿題をするのが日課であろうと、それを微笑ましく思ったり、仕方ないな、と思ったりはすれど、決して怒りは湧いてこないのだとか。
資本主義に飲み込まれながら、しかし、国外へ出る=密航となってしまう、アンバランスな自由を持つようになった中国の人々。お金に対する執着の凄まじさや、自分だけが損をすることに敏感だったりなど(勿論、この本の中には、そうではない人も稀に登場するけれど)、そこだけを見ると、何と言うか、浅ましいというか、はしたなくも感じるのだけれど、確かにこの貧富の格差、手の届きそうな所に、豊かな生活が見える状況では仕方のないことなのかも。また、そういう点をひっくるめて、中国の人々の旺盛な生命力を、著者は非常に愛しているのだけれど。
あくまで自分の力で生き、自分の頭で考えることを捨てないのだとしたら、日本の過ごし易い、ある程度完成された様々なシステムは、むしろ邪魔になるものなのかもしれない。生きているという実感を得るために、必要なものはそれぞれ違うのだろうけれど、星野さんには、こういう旅や出会いが必要なんだろうなぁ。
そういえば、ドラマも始まった安野モヨコさんの「働きマン」も、「仕事したって思って死にたい」松方弘子が主人公だけれど、何もそこまで極端に走らなくても、と思っても、その仕事にかける情熱が、きっとそのまま「生きているという実感」なんだよね。
たとえば、大学を出るくらいまでは、何となくコースに乗っていけば、人生はそのまま進んで行くわけだけれど、二十歳そこそこまでに得たものだけで生きていけるほど、人生は短くも平坦でもない。仕事にプライベートに、というバランスの良い生き方もあるけれど、こういう生き方もあるし、突き詰めている潔さがある。