「幽霊」/ゴースト・ストーリイ | 旧・日常&読んだ本log
イーディス・ウォートン, 薗田 美和子, 山田 晴子
「 幽霊
」
作品社
比較的新しい本(2007年8月初版第1刷発行)だったため、最近の作品と勘違いして借りてきたのだけれど、著者のイーディス・ウォートンは生年1862、没年1937年と、古き良き時代のお人なのでありました。
であるからして、物語の中で出てくる「幽霊」も、分かり易く派手にキャー!!!、となるものではなく、ぞわぞわ、ひやひや、もしかして?、といった具合に、それらは密やかに迫り来る。もう一つの特徴としては、著者イーディス・ウォートン自身が、ニューヨークの富豪の家に生まれた、所謂上流階級の人間だからか、その舞台のほとんどが、由緒ありげなお屋敷なのです。なので、その時代の上流階級の生活や、お屋敷を楽しみつつ、そこにひたひたと迫りくる超自然的な現象を、物語の中の登場人物と一緒にひやひやと体験するような読書となりました。
Contents
カーフォル
Kerfol
祈りの公爵夫人
The Duchess at Prayer
ジョーンズ氏
Mr Jones
小間使いを呼ぶベル
The Lady's Maid's Bell
柘榴の種
Pomegranate Seed
ホルバインにならって
After Holbein
万霊節
All Souls'
付『ゴースト』序文
訳者解説
現代風な香りがするところでは、「ホルバインにならって 」と「万霊節 」の二篇が面白く、その他では美しい女主人と、彼女にあまり相応しくない「旦那さま」の組み合わせが印象深い。そうしてこの場合、召使はみな女主人の味方。なんてお可哀そうな奥さま!(「カーフォル 」、「祈りの公爵夫人 」、「小間使いを呼ぶベル 」の三篇)。
「ホルバインにならって 」は、老アンソン・ウォーリーと、かつては「名だたる女主人」と呼ばれたイーヴリーナ・ジャスパーのお話。アンソン・ウォーリーなしのパーティーは完璧ではない! 今日も今日とてウォーリーはパーティーに出掛けて行くのだが…。最近の気がかりは、めっきり口煩くなった召使のフィルモア。社交界はウォーリーを求めているというのに、フィルモアは毎夜の外出は体に毒だというのだ…。一方のジャスパー夫人は、忠実な召使や看護婦に傅かれ、今はもう決して招待客が来ることのない晩餐会を取り仕切る…。
「万霊節 」は、年代物の屋敷に住む、女主人、セアラが体験したお話。夫であるジム・クレイバーンが亡くなったとき、子供のないセアラはこの屋敷を引き払い、ニューヨークかボストンに移り住むかと思われたのだけれど…。年代物の屋敷とはいえ、開放的で風通しは良好、天井は高く、電気、セントラル・ヒーティングなど、現代的設備はすべて整った、コネティカット川を見下ろす高台にあるこの屋敷。セアラはこの住み心地の良い屋敷を気に入っており、ここに住み続けることを決めたのだ。
ところが、ある年の秋、屋敷に向かう青白い顔をした中年の女に会った次の日、セアラは実に不可解な体験をする。夫の母から受け継いだ忠実な年配のメイド、アグネスや、医師のそれとない忠告は、何を意味しているのか? そうして、また、一年後…。
奥さま専用の居間があったり、ディナーの前のディナードレスへのお着替えや、メイドへの指示の出し方など、「上流階級の暮らし」が私には物珍しく、その辺も雰囲気だなー、という感じで面白かったです。
『ゴースト』序文 には、こんな言葉が載せられている。
幽霊の存在を感じる本能は、私たちの深いところに潜んでいるのですが、その本能が、ラジオとシネマという、世界にはびこる二つの想像力の敵のせいで、徐々に退化しつつあるように思えるからです。
想像力というものは努力によって勝ち取るべきもので、それからゆっくりと吸収されなければならなかったのですが、想像力にかつては栄養を与えていたものがみな、今では料理され、調味され、小さな切れ端に刻まれて供されています。
このイーディス・ウォートンの「幽霊」 は、言うならば薄味だけれど、しっかりと上品な出汁をとった物語というところ。現代の物語にあるような刺激的なところはないけれど、しっとりと味わい深い物語。
*臙脂色の文字 の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
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