村田 喜代子
「慶応わっふる日記
」
潮出版社
それは、大政奉還がなされる少し前、典医であった父、桂川甫周の鉄砲洲の屋敷に住まう甫周の娘、「ひいさま」、みね子の暮らす日々。
元治元年の夏から始まるこの物語は、慶応三年の大政奉還を少し過ぎたあたりで、その幕を下ろす。ほとんどを屋敷の中で過ごし、外出は駕籠に乗って。そんな「ひいさま」な暮らしにも、時代の流れは影を落とす。
祖父母が暮らし、かつては公方様が鷹狩りをなされたという御浜御殿も、物語の後半では静けさを失い、陸軍歩兵の騒々しい駐屯所に変わる。また、寛大な父の元、山程いた書生たちも、必要とされて、みな、国元に帰って行く…。
特に起伏という起伏はないのだけれど、これは良かったです。きゃらきゃらしたところも、浮ついたところもないのだけれど、これもまた、間違いなく「少女の」物語。
先ほど、起伏はない、と書いたけれど、物語が始まって早々、桂川家はみね子のおじ、藤沢志摩守の不興の余波を受け、約一年にわたる「閉門」を経験する。築地から鉄砲洲に転居し、新しい本屋や父の友人が暮らす西洋館など、屋敷の様々を建てている最中であった桂川家の全ての普請は滞ってしまう。「閉門」においては、すべての窓が板で塞がれ、原則的に人の出入りも許されない。そんな中でも、少女、みね子の目は曇ることはない…。
典医である桂川の娘として生まれた覚悟、武家のあれこれ、使用人たちのこと、舶来物のはなし(わっふる、ミシン)、「究理学」を学ぶ父の友人の硝石づくりのこと、父の技、蘭法医学のこと…。語られる日々の様々は、決して派手ではないのだけれど、しみじみと興味深く、味わい深い。
こういうのを読むと、情報量だけが、知識の量だけが、物事を決める全てではないと思うのだよね。習い事に熱心でない父を持ち、早くに母を亡くしたみね子は、自分には取り柄がないというのだけれど、この聡明さはすでに一つの武器でもある。
冒頭、築地から鉄砲洲に移ってきたみねは、毎朝波の音で目が覚めるようになったと語るのだけれど、この波は波といっても海の波ではなく、大川の岸辺に打ち返す波音。どぼん、どぼんと、ゆっくりと打つ波音を聞きながら、みねは海のことを考える。この冒頭からすっかり引き込まれて、ほのぼのと味わって読みました。桂川家の女中は、つるじ、かめじ、まつじ。どんな名前の娘が来ても、それは何代目かの「○○じ」(つるorかめorまつ)になるのだよね。そういうところも、旧家だよねえ。
これ、私が借りてきた図書館の本では、カバーが剥がされちゃっていたので、どんな表紙なのか知りたかったのだけれど、表紙絵は出ないようです。残念~。
図書館の本では、薄いベージュの地に、この時代の地図がそのまま描かれている。この時代の屋敷の大きいこと!(そして、松平なんとかさんが、たくさん~)
■桂川甫周(wikipediaにリンク )■
四代目と七代目、二名いる甫周のうち、七代目甫周の次女である今泉みねの日記が、この小説の元となっている。
村田喜代子さんは、以前「雲南の妻」を読んだとき、いまひとつピンとこず、そのままだったのだけれど、もう少しいろいろ読んでみたいな~、と思ったのでした。