- 森 絵都, いせ ひでこ
- 「アーモンド入りチョコレートのワルツ
」
もう二度とない、少年や少女のキラキラとした日々。三つのピアノ曲と共に語られるのは、夏の日の少年たち、少年と少女の淡い恋、少女と彼女が出会った大人。
森絵都さん、初読みです。児童書から大人の本へと活躍の場を広げたという森さん。なるほどー、そういう経緯も分かるなぁ、と思った本でした。私が今回選んだのは、いせひでこさんの絵が美しかったこの本。これもまた、児童書に分類されるものです。
目次
子供は眠る
ロベルト=シューマン
<子供の情景>より
彼女のアリア
J=S=バッハ
<ゴルドベルグ変奏曲>より
アーモンド入りチョコレートのワルツ
エリック=サティ
<童話音楽の献立表(メニュー)>より
「子供は眠る」
夏休みの二週間、章くんの別荘で親戚の男の子達と過ごすのは、ここ五年の決まった行事。お目付け役としての大人、別荘の管理人の小野寺さんもいるけれど、それは<ぼくらの夏>、<ぼくらだけの夏>だった。<ぼくらの夏>の過ごし方は、章くんの号令で決まる。海で泳いだり、勉強したり。いつも同じなのは、LPレコードでピアノ曲を聴く、うんざりする夜のクラシック・タイム。いつもと同じ夏のはずだった・・・。
けれど、ぼくは気付いてしまう。章くんの独善的な態度に、また、章くんに従わなかった正樹くん、章くんより「出来る男の子」だった貴ちゃんが、二度と<僕らの夏>に加わる事がなかったことに。従兄弟の智明はその事に一年前に気付き、章くんよりも伸びてしまった背を気にして章くんの前では猫背に、何も考えていないように見えたナスだって、章くんの前では本来の上手い発音を隠して、カタカナで英語を読む。ぼくだって、章くんとの競泳ではわざと手を抜く。
でも、そんな嘘はいつかバレる。王さまは裸だ!
いつまでも続くものなんて、本当は何もない。ぼくが考えているよりも章くんはずっと大人であったし、いつもは寝てしまうクラシック・タイムで、最後まで聴くことを決意したぼくは、また一つ知らない姿を見る。そして、章くんのクラシック好きの理由とは・・・。
最後の夏の匂い。そうして、少年は大人になるのだろう。
「彼女のアリア」
理由もなく始まった一ヶ月にわたる不眠症に苦しんでいたぼくは、ある日、誰も使わなくなった旧校舎で、ゴルドベルグ変奏曲を弾く彼女に出会う。彼女の名は藤谷りえ子。彼女はぼくに同情し、自分もまた不眠症に苦しんでいると告げるのだが・・・。
悩みを共にするものとして、ぼくは週に一回旧校舎で会うことを提案し、彼女もまたそれを受け容れる。ぼくの不眠症の悩みよりも、彼女が語る藤谷家を襲う出来事は何ともドラマティックで、いつしかぼくの不眠症は治っていた。不眠症が続いているという彼女に気を使って、ぼくは自分が治癒した事を言い出せないのだけれど・・・。
ある日、ぼくは友だちから彼女の虚言癖と同情癖の噂を聞く。ぼくだけが特別だったわけではないのか?? 真実を知ったぼくは彼女を突き放すけれど・・・。
少年と少女の淡い恋がいい。
「アーモンド入りチョコレートのワルツ」
わたしが通うピアノ教室の先生はちょっと変わった人。彼女に初めて出会った小学一年生の時、わたしは彼女を魔女だと、それもいい魔女だと感じたのだ。残念ながら、彼女は魔女ではなかったけれど、わたしはびっくり箱のように何が飛び出すか分からない彼女、絹子先生にすっかり魅了される。
小学校高学年になったわたしに、絹子先生は、純真で、子供のように素直だったエリック=サティの話を繰り返す。わたしにとっていつしかフランスの音楽家、サティはとても近しい人になる。その頃、わたしと一緒にピアノ教室に通っていたのは、学校でも変わり者として知られる君絵。学校の先生になかなか名前を覚えて貰えない私とは対照的に、突拍子もない行動で知られる君絵だけれど、絹江先生への信頼でわたしたちは結ばれていたのだ。
わたし、君絵、絹子先生の三人のレッスンに、ある日、フランスからやって来た「サティのおじさん」が加わることになる。コロンの香り、白い肌、緑の瞳、銅色の髪を纏った彼、ステファンは、瞳の光り方や、今にも笑い出しそうな口元がサティにそっくり! レッスン中にブラボー!と叫んだり、即興の伴奏を付けたり、絹子先生の生徒に触れ合おうとするその態度が、何かと波紋を呼び、生徒の数も減ってしまう。わたしたちは、そんな事には関係なく、絹子先生とサティのおじさんとの時間を楽しむが・・・。
木曜のレッスンの後は夢のような時間。ワルツを奏で、フランス語と日本語の歌が飛び交い、紅茶の湯気が、バタークッキーの香りが、四人が踊る。全てのものが白い光に包まれる、そんな時間。けれど、そんな夢のような時もいつか終わる。
家庭に何か問題を抱えていたらしい君絵が言うには、大人はいつだって何でも好きなように作って、好きなように終わらせる。あたしたちは大人になったら、好きなものを好きなように作って終らせない。それは、君絵の必死の声だったけれど・・・。あたしたちは、アーモンド入りチョコレートのように生きていくことが出来るのか? ぐるぐるりん、くるくるぐるぐる・・・。
ワルツには翼が生えている。音符のひとつひとつが翼を持っている。それはまるで妖精のように宙を舞い、しゃらしゃらと踊りながらわたしにいくつものキスをする。
ワルツはわたしに教えてくれる。なにをわすれて、なにをおぼえていればいいのか。なにもかもすべてをおぼえているわけにはいかない。楽しかった事をおぼえていなさい、とワルツはいう。大好きだった人たちのことをおぼえていなさい、とワルツはうたう。
綺麗な綺麗な、綺羅綺羅した時間を楽しんだ。終わってしまうからこそ、無限ではないからこそ、その時間は美しく、愛おしむべきものなのかもしれないけれど・・・。今度は大人向けのものも読んでみよう。