「権現の踊り子」/パンクな文学 | 旧・日常&読んだ本log

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流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

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町田 康
権現の踊り子

町田氏の、色々詰まった短編集(amazonによると、著者初の短編集とか)。
時代ものあり、現実とは微妙にずれた世界あり、また現実のしょうことない男の話あり。

目次
鶴の壺
矢細君のストーン
工夫の減さん
権現の踊り子
ふくみ笑い
逆水戸

「鶴の壺」
若い頃、鶴が借りていた三畳間に転がり込んだ「わたし」。死期を迎えたという鶴の元に、当時餞別のつもりで、勝手に持ち帰った小銭が詰まった壺を返そうとするのだが・・・。

「矢細君のストーン」
彼が持つのは只の石ではない。あの君が代にも歌われた「さざれ石」なのだと、矢細君は主張するのだが・・・。

「工夫の減さん」
工夫して、工夫して、全てを台なしにしてしまう減さん。それは最期まで、一向に変わらぬ、改められぬものであった。

「権現の踊り子」
こちら、上手く纏められないので、amazonからそのまま引いちゃいます。
権現市へ買い物に出かけたところ、うら寂しい祭りの主催者に見込まれ、「権現躑躅踊り」のリハーサルに立ち会う。踊りは拙劣。もはや恥辱。辟易する男の顛末を描いて川端康成文学賞を受賞した表題作(以上、amazonより引用)。

「ふくみ笑い」
仕事が減ってきて、バナナも買えなかった「俺」。これは世の中全てが、「俺」の敵に回ったせいなのか? 世の中全てに、符牒のようなものが存在し、「俺」だけがそのことを知らないのか。そう、たとえば、人に話しかける前に「ぎょんべらむ」と付けなきゃいけないとか。
更に、現実世界には裂け目が生じて、紐のような「ノイズ」が飛び交う。ノイズが付着した所から、糜爛して流れ落ちる肉。危うい世界に、猿愛児の音楽が鳴り響く。べらんが、めらん

「逆水戸」
誰あろう、従三位権中納言徳川光圀公のお忍び旅行。越後の縮緬問屋の隠居、光右衛門とは仮の姿である。これが所謂「黄門様」の世界だけれど、こちらは「逆水戸」。だから、こちらの光圀公は弱きを助けるわけではない。というか、弱きにも、責められるべき所があり、まったき善ではありえない。更に「強きを挫」こうにも、その「強き」方にもそれなりに妥当な理由がある。そんなこんなで、我が身のみが可愛い光圀一行は、市中を無駄に混乱させつつ、さらに自分達自身も危機に陥る。
忍者の吟は、ご老公一行の危機にも気付かず、ただ踊り狂う。ヘゲムーンの山車に乗り、三味線をかき鳴らす。じゃんかじゃんかじゃんかじゃんかじゃんかじゃんかじゃんかじゃんか。狂騒的なビートは止まることも知らず、吟、瞳の女どものみが、助かってひたすらに踊り狂う。

「ふくみ笑い」「逆水戸」が面白かったなぁ逆水戸」は設定がどうとかよりも、「ヘゲムーンの山車」や、「じゃんかじゃんかじゃんかじゃんか」というビートにヤラれたのかも。
「ふくみ笑い」は単純に面白い! 現実との違和感を、拡大妄想すると、こうなるのかしらん。

町田氏はミュージシャンでもあるだけあって、言語感覚が面白いですね。「ぎょんべらむ」とか、意味が分かんないのに、妙に気に入ってしまいました。
中・長編よりも、短編でぎゅっと密度濃く読んだ方が、自分には合っているようにも思いました。

 ← こちらは、文庫

☆関連過去記事: 「屈辱ポンチ 」/へらへらへらり