2006-09-20 21:31:11
「屈辱ポンチ」/へらへらへらり
テーマ:文藝春秋
目次
けものがれ、俺らの猿と
Getting wild with our monkey.
屈辱ポンチ
初読みの町田康氏。心配していた、噂の饒舌な文体は、さほど気にならず、というか面白く楽しんで読むことが出来ました。でも、なんか、楽しい「だけ」だったんだよなー、これ。ううむ、他の作品も読んでみなくては。
図書館にあったので、適当にこの本を借りてきちゃったんだけど、町田氏の作品の中では、これってどういう位置づけなのでしょうか。
二本立ての「けものがれ、俺らの猿と」は脚本家の「俺」、「屈辱ポンチ」はバンドマンの「俺」が主人公。主人公に共通しているのは、おかしな立場、にっちもさっちもいかない立場に追い込まれても、へらりへらりと何となしに流れていくところ。いや、そこ流されちゃダメだろ!、って場面においても、彼らはきっちりと流される。
表題となっているのは、「屈辱ポンチ」だけど、紙面のボリュームとしては、「けものがれ、俺らの猿と」の方が全然長い。
「屈辱ポンチ」ではバンドマンが主人公となるからか、何となく大槻ケンヂを思い出し、また、全編においてはそこはかとなく含羞が仄見えることから、中島らもを思い出しました。大槻ケンヂは昔々の「ダ・ヴィンチ」の連載で読んだだけであり、彼の方がもっと真面目だとは思うけどね。
とんでもないことをやりながら、また流れに流されておりながら、どこかに含羞が残る男たち。饒舌な文体と、それに似合わぬ奥ゆかしさのようなものが、町田氏の魅力かしらん。
文体で言えば、「けものがれ、俺らの猿と」の、爺さんプロデューサー、椿山の「~でござあした」という話し方や、「おほほほほほ」という笑い声が、何となく頭を離れない・・・。あとは、あれですね、ここで湧く様な虫は勘弁願いたいですね・・・。肉食虫が跳梁跋扈する家なんて嫌だよー。体長2センチメートルほどの虻と蜂の合いの子のような真っ黒で奇怪な虫、ですぜ。あな恐ろしや。
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1 ■ポンチは読んでないので恐縮ですが
>饒舌な文体と、それに似合わぬ奥ゆかしさのようなものが、町田氏の魅力かしらん。
そう、そんな感じです。
おかしな文体なのに生真面目で、現実での違和感を感じながら現状に流される。
これが舞台が現代だと、なにぐうたらやっているの、となるのですが時代劇になるとこの違和感が妙に物語にフィットしてくるんですね。
町田康は、「パンク侍斬られて候」「告白」の時代劇モノのできが非常によいのでオススメです。
それ以前の作品は、この2作に比べると作品のできはそんなにかわらないんじゃないかな、と思っています。
「ポンチ」を読んでないので恐縮ですが