「真夜中の太陽」/米原万里さん | 旧・日常&読んだ本log

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流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

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米原 万里
真夜中の太陽  
中央公論新社
(画像は、中公文庫)

「真夜中の太陽」とは一体何ぞや?

これは、暗闇が怖くて夜になるのが嫌だった、四歳の頃の米原さんに、お父さまがしてくれた話に由来する。この辺は土地柄が日本とは違うのだなぁ、と思うのだけれど、「隣の広大なお屋敷の奥からお化けや妖怪たちの鋭い目が怪しく光り、自分をつけ狙っているような気がしてならなかった」そう。

もとは、お父さまが寝る前にしてくれたおとぎ話。欲の皮の突っ張った馬鹿な男が、畑の収穫を上げるために、太陽を沈ませまいとして悪戦苦闘する。米原さんも目的は異なるけれど、おとぎ話の男と同じように、太陽に沈んで欲しくないと思っていたわけで、「太陽が沈む」ということに興味を持つ。子供を寝かしつけるためのおとぎ話だったはずが、いつしか地動説を理解させるための説明へ・・・。

その瞬間から、わたしの心の中に、地球の裏側で、ご機嫌な顔をして大地を照らす太陽のイメージが生まれた。真夜中の暗闇の中でお化けや妖怪たちに襲われそうになるとき、地球の裏側の太陽を思い浮かべると、彼らは退散してくれるようになった。
お化けや妖怪を信じなくなった今も、真夜中の太陽のイメージはわたしを励まし続けてくれている。目前の状況に悲観的になり、絶望的になったときに、地球の裏側を照らす太陽が、そのうち必ずこちら側を照らしてくれると思えば、気が楽になるし、その太陽の高みから自分と自分を取り巻く事態を見つめると、大方の物事はとるに足りないことになる。もちろん、その逆に、情け容赦ない太陽の光は、至近距離では、とるに足らないことが、実は人類全体にとって致命的プロセスなのだとあぶり出してくれることもある。

本書は、二十世紀末から二十一世紀初頭にかけて、いくつかのメディアに連載された文章を纏めたもの。いずれも、今現在の日本と世界の状況を、米原さんの目で見て、解釈したもの。

「真夜中の太陽」のエピソードを知ってからは、少々怖い事、嫌な事があっても、ご機嫌な太陽を背に、楽天的に物事に立ち向かう少女の像が、米原さんの後ろに見えて、何だか微笑ましくもあった。

ちなみに、「いくつかのメディア」とは、「婦人公論」、「ミセス」、「熊本日日新聞」、「公研」のこと。「婦人公論」、「ミセス」などは読んだ事がないのだけれど、そうか、こういった文章も載っているのか、と興味を覚えた。米原さんを選ぶとは、センスいいね、と・・・(米原さんの著作を二冊しか読んでないくせに、生意気ですが)。

非常に残念な事ですが、米原万里さんは25日午後1時12分、死去されたそうです。まだ56歳の若さでありました。ご冥福をお祈りいたします。「
オリガ・モリソヴナの反語法 」のような、骨太の物語をもっともっと紡いで欲しかった、と思います・・・。

 検索で見つけた、北海道新聞の訃報に
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*臙脂色の文字の部分は引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。