「鳥づくし」/真面目な顔してウソを言い | 旧・日常&読んだ本log

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流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

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別役 実
鳥づくし―真説・動物学大系 続  
「鳥は鳥であるか」
の章から始まる本書は、「鳥とは一体何であるか?」、それを我々は実は全く知らないのだ、という前提から始まる。そして、我々がこれまで鳥だと思っていたものが、実は鳥ではないかもしれない、そんな目を持つ事から、「新しい鳥学」が始まるのだと、一席ぶつ。

何といおうが、鳥が鳥であることは自明のことであり、ここから少々荒唐無稽な本書は色々な方向へと広がっていく。

こういった本は、洒落に寄るか、馬鹿馬鹿しい方に寄るか、難しい所であると思うけど、残念ながら本書は大分馬鹿馬鹿しい方に寄ってしまっている。そんなわけで、所々は、「そんなわけないじゃん!」とイラっと来る事も。
でも、章のタイトルや扉絵はなかなか好みであったのだ。

幾つかの章について少し。

◆「威風ドードー」◆
ドードー鳥は、周知の通り、人為的に短期間で絶滅させられた鳥として有名である。ドードーはどうして、飛んで逃げる翼もなく、武器として使うことも出来ぬ嘴を持ち、逃げ足も遅く、木に登る事も出来ずに、「生きてゆくことが出来る」と考えたのであろうか。
ドードーは「文明」に対して、全く無用心に進化してしまった種である。
ドードーはなぜこのような特殊な進化を遂げたのか?

◆「唄を忘れたかなりや」◆
小さく儚いかなりや。
「唄を忘れたかなりやは、うしろの山に棄てましょか」の詩や、炭鉱で有毒ガスの探知機とされる事に代表される、我々のかなりやに対する思いとはいかに?
かなりやには、人間本来が持つ、残酷で野蛮な本性を呼び覚ます力がある。

◆「バード・ウォッチングの正しいはじめ方」◆
バード・ウォッチャーとは、ただ漫然と鳥を見る人を指すのではない。

タイトルに「続」とあるように、これの前に更に本があるようなのだけれど、それを読むかどうかは微妙な感じ。また、図書館で見かけたら、借りてもいいかな位。
でも、ちょっと表紙が綺麗でしょ? (よーく見ると、かなり不思議なんだけど)