斉藤小兵太寅吉、改めミゲル・トラキチ・サイトウ・アッチラこと、トラは男でござる、ブシでござる、イダルゴでござる。イダルゴとは、イホ・デ・アルゴ(ひとかどの人物の息子)のこと。気風、態度、文化を日本になぞらえて言えば、これ、即ち武士そのものである。
好いたおなごが縋ろうとも、拾った従者に諭されようとも、彼の血が滾るのは、やはり戦場、戦の中。男は前に進まねばならぬ。彼とて、好いたおなごとの平穏な日々を、従者の言う名誉ではなく利を、夢見ぬわけではない。好いたおなごの幸せを、哀れな境遇にあった子供である従者の幸せを望まぬわけではない。
残念ながら、彼が生まれた、生きた時代は、ブシとしての、イダルゴとしての使命がそのまま、女子供の幸せとなる幸福な時代ではなかった。戦国の世は既に終わったのだ。支倉常長率いる遣欧使節の一員となり、イスパニヤに渡ったはいいが、日本では既に徳川家康による全国制覇がなり、頼みとしたイスパニヤとて、既に落日の国、過去の帝国であった。
それでも彼は、イスパニヤのイダルゴ、ベニトを相棒とし、戦場を探し、名誉を求めて、また、それが好いたおなごの幸福となることを信じて、ひたすらに走る、走る。
「恋愛バトン」で思ったけれど、条件だけで人を判断し、好きになれたらこんなに簡単な事はない。そうではない所が、きっと恋情というものの、侭ならぬけれども、美しく神秘的な所なんだろう。
エレナの「イダルゴだけは、愛さないと誓ったもの」という叫びは痛い。それでも、エレナはトラをその全身で愛してしまったから、彼女にはもうああなるしか他、道はなかった。
この物語はラストが好き。女性をばったばったと見捨てていくようにも見えながら、トラは実は少しずつ成長(というのかな、学んでいくというか。時系列によって、女性に対する接し方が若干異なる)しているのだよね。今度こそ、平穏な日々に安住することが出来るのか? とはいえ、やはりそうもいかず、熱きブシ、イダルゴの血が滾るのだろうか。今度こそ、愛しいものと共に、泡沫の夢に遊ぶことが出来るのだろうか。