「木曜組曲」/女という業、物書きという業 | 旧・日常&読んだ本log

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流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

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恩田 陸
木曜組曲

えい子、静子、絵里子、尚美、つかさ。五人の女たちは、毎年ある時期の木曜日を中心とした三日間、『うぐいす館』に集い、飲み食いしながら、気の置けない会話を楽しむ。彼女たちを結び付けているのは、四年前に『うぐいす館』で自殺したとされる、作家の重松時子。時子が「自殺」したその日にも、彼女たち五人は、『うぐいす館』に集まっていたのだ。

由緒ある旧家であり、芸術家肌の個人主義を貫く重松家にあって、時子はもって生まれた素養を背景とした耽美的でペダンティックな作風で知られ、一部に熱狂的なファンを持つ作家であった。彼女の影響は編集者であるえい子、異母姉妹である静子は勿論、少々複雑な血縁関係にある尚美、つかさにも、大きく及んでいた。美術関係の出版プロダクションの経営者であり、書画や骨董に関するエッセイでは、名文家として知られている静子であったが、天才である姉、時子にはいつもコンプレックスを覚えていたのだという。尚美、つかさは、自分たちの書くものは、時子からすればお嬢さんの作文程度であろうと思いつつも、幼い頃から読んできた時子の小説に対する尊敬の念、憧れは揺るがない。

えい子を除き、唯一血縁者ではない絵里子は、この女たちの集まりに『若草物語』の四姉妹を見る。少々薹が立ち過ぎ、また『若草物語』といえど、ここにいるのは、全て性格も職業も次女のジョーばかりではあるのだが・・・。

ここ数年は何事もなく、えい子の料理と当たり障りの無い会話を楽しむだけの集まりであったのだが、謎の人物から贈られた花束を切っ掛けに、四年前には分からなかった事実が、次々と明るみに出る。

「自殺」であるとされた、時子の死の真相とは?

女という業、物書きという業を考えさせられる物語ではあれど、これはまさに女だけの「女たちのおしゃべり」のお話。物語の流れも会話も、全て「女性」を強く感じさせられる(よく食べ、よく飲み、よくしゃべる!そして会話は、ぽんぽんと飛ぶ)。知られていなかった事実、見えなかった事が語られる点には、「夏の名残りの薔薇 」を思い出すが、小説としての出来は、「夏の~」の方が上だと思う。

手強く、したたかな女たちは、なかなかに素敵でもあるのだけれど、この本の描写からは、大きな存在であるはずの「時子」の凄さが実感出来なかった所が残念。小説家の作をもってして、その人となりを描く事って、結構難しいようにも思う。時子ではなく、生きている他の人物たちの描く小説は、その行動から何となく理解出来るのだけれど。その結果である小説ではなく、行動の方が、人物をすんなり理解出来る。

物書きって因果な商売なのかもね、と思う一冊でありました。ただし、これまで読んだ恩田さんの作の中では、私の評価は低いです。女性よりもむしろ、「女同士の会話、世界」に、怖いもの見たさの興味のある男性に、オススメしたい感じです。
(うーん、でも、こういう流れって、男性には辛いのかな)