時々、おすすめで出てきたブログをチラッと覗きに行くことがあります。

まだ確定していないけれど我が子の障害を疑っている方のブログは、心の葛藤や苦しさが如実に文章に表れていて、読むだけで胸が痛みます。


今でこそそれなりに障害受容ができているように見える私も、長男の障害を疑い出した時は激しく気持ちが揺れ動き、とても制御できませんでした(その時はまだブログを書いてませんでした)。

誰かに否定してほしくて、長男は普通の子だと言ってほしくて、男の子だからゆっくりなんだよね?と自分に言い聞かせて…でも心のどこかで長男は普通じゃないよ、どう見たら普通なの?節穴なの?と怒りでヤケクソになっている自分もいました。何に対しての怒りなのか、自分でも分からなかったな。

ちょうど次男を妊娠していたこともあり、メンタルはボロボロで。眠れず夜中に起きて、長男の寝顔を見ながら涙が止まらなかったこともあります。


我が子の障害や病気の発覚。それは、時に鋭いナイフで刺されたかのようなショックと激しい痛みを伴うものだと思っています。個人差はあるでしょうが…


少なくとも当時は、何を見ても、誰と会って話しても、何を食べても、心の底から楽しむことなんてできなかった。



あれから3年。

あの時感じた激しい痛みは鳴りを潜めました。

家族で出掛けたり人と会えば心の底から笑ったり楽しめるようになったし、スイーツを食べれば美味しく感じられるようになりました。


でも、ふとした瞬間に思い知らされます。

長男は今年年中さんになり、園でも療育でも年下の子が増えてきました。そして…どの子どもたちも長男よりはるかにできることが多いんです。当たり前だけど。あぁ、こうしてどんどん長男は自分より年下の子に追い抜かれていくんだな。追い抜かれ続ける人生なんだな。そんな時、少し心がギュッとなります。


療育でずっと一緒の同い年の男の子、この間会ったらオウム返しらしいけれどハッキリと発語が出ていました。思わずすごいね!と声を掛けちゃいました。妬ましい気持ちもなく、純粋に嬉しくなりました。

で、長男に目をやると、おもちゃをかじったり自分の手のひらを叩いたり。発語どころか、この子は見立て遊びすらできない。自己刺激行動のみ。この3年間、ずーっと。

それが本人は楽しいからいいんじゃないと思う私と、どうしてうちの子だけこうなんだろうと思う私がいます。他の子の成長を嬉しく思う気持ちと、長男と置いていかれているような、これから自分たちはどこへ向かうんだろうという不安で心細くてやるせない気持ち。


そして、あの時の傷自体は消えることはないんだなと思い知らされるのです。


障害受容は難しい。本当に難しいです。


***


先日とあることで落ち込んでいた時に、たまたまTVからBUMP OF CHICKENの『窓の中から』という曲が流れてきました。何気なく聴いていたんだけど、


痛くない事にした傷に

時々手を当てながら

一人で歌うよ


という歌詞のフレーズにグッときて。思わずYouTubeで聴き直しました。


そっか。

そうなんだ。

『痛くない事にした傷』なんだな。

長男のことも、その他のいろんなことも。


とりあえず私たちは普通(じゃないかもしれないけど)に日常を生きていかないといけない。子どもじゃないからずっと「痛いよう、痛いよう」と泣いているわけにもいかなくて、痛くない事にしているだけで。その傷は手を当てればずっと、ずーっとそこにあって。だから、何かあると痛む事自体は仕方ない。しょうがない。時々、時々だけどね。


それでも、その思いをこうして言葉にすれば同じような誰かと一瞬でも重なるかもしれない。それだけでなんとか生きていける。だから多分大丈夫。


歌詞が自分の今とリンクしているようで。

最近家事をしながらよく聴いてます(笑)

自分の思いを言語化してもらえるのってこんなに救われることなんだな、と勇気をもらっています。